* 文献短評

 
 

『イスラーム農書の世界』(世界史リブレット85)

清水宏祐(著)
山川出版社、2007年

表紙

 「世界史リブレット」シリーズらしく、イランのエルブルズ山脈、トルコの小麦畑、アフガニスタンの野菜畑、エジプトの水車小屋の写真を散りばめながら、西アジア地域の伝統的な農業技術や農業思想について、平易な言葉でわかりやすく書き下したものである。「イスラーム農書」という聞きなれぬ呼称には多少の違和感を覚えるが、著者も本来は「イスラーム農業」というものはないと明言している通り(p.4)、とりあえずは「前近代イスラーム世界における農業技術に関する著作物」といった意味を短くまとめた、便宜的用語として理解できる。

 第一章「農書の成立ち」を読んで、イスラーム文化圏の農学知識がギリシア・ローマの医学・科学を受け継いでいることを改めて思い起こさせられた。そうした知識はアラビア語に翻訳され、ウラマーらを通じて各地に伝播していった。同時に、古典的農学知識を各地の特殊な状況に適合させることを目指した、より地域的に限定された農書も多く記された。第二章ではそうした農書の一つ、16世紀にペルシア語で記された『農業便覧』を詳しく読み進める。そこから、ヘラート周辺地域における土壌塩分の確認方法、農事暦や農業占い、穀物の播種方法と時期などを伺い知ることができる。

 第三章「乾燥地と乾燥地農業」では再び『農業便覧』をもとにしながら、夏季に著しく乾燥する西アジアの乾燥地農業の二類型として、冬季の降水に頼る穀物栽培 と、夏季に灌漑を行う野菜栽培が対比して論じられる。前者は天水と最小限の灌漑のみを用いる「天水農業」であり、収穫高は低いが「永続性」を志向し土地の保全によく注意するため「保全農業」とも呼ばれる。対照的に、後者は人為的な灌漑を活用する「灌漑農業」であり、「生産性」を追及する、労働集約的な「除草農業」である。後者は都市の消費を賄うため都市近郊で成立し、前者は都市から離れた地で営まれ、専ら徴税の対象となった。この二種類の農法は、さらに第四章「農書から広がる世界」において、より詳しく論じられている。

 最後に第五章「農書写本の世界」では、一種の「あとがき」として、「イスラーム農書」の写本をこれまで調査・収集してきた著者ならではの写本観が語られる。悪意をもって作られた偽書は論外としても、農書は実用書として、そのなかの知識が実地で用いられるところに価値がある。20世紀になっても「イスラーム農書」が再版され、新たに流通する事実に、著者は「乾燥地とは気候条件の違う、ヨーロッパの農学を導入するよりも、伝統的な、地域に根ざした農法と、生産性よりは永続性を選択した発想には、学ぶべきものが多いように思われてならない」(p.80)と述懐し、本書の結びとしている。評者もまた、生産性向上を目標に掲げ、自然の最大限の利用/搾取を是としてきた20世紀の開発思想の妥当性が大きく揺らいでいる今だからこそ、改めて「生産性よりも永続性を重視した思想」に目を向ける意義があると思う。西アジアの農業や農村に興味がある人にはお勧めの一冊である。(竹村和朗)

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『スワヒリ語のしくみ』

竹村景子(著)
白水社、2007年

表紙

 スワヒリ語ってどんな言葉なの?

 これは結構よく訊かれる質問。ジャンボ!っていう挨拶は結構よく知られているし、サファリがスワヒリ語から英語に入って世界で広く使われるようになったことを知っている人もいる。けど、それ以上となると、みんなあまり知らない。

 実際に、日本ではスワヒリ語に関する情報はきわめて少ない。文法書や語彙集は数えるばかり。そんな状況のなかで、2007年の3月、文法用語や表に頼らない画期的な入門シリーズという看板文句の白水社「言葉のシリーズ」の一冊として表題の著書が出版された。

 これが実に良い入門書なのだ。2部構成の第1部は「文字と発音のしくみ」、「書き方と語のしくみ」、「文のしくみ」の3章からなっていて、文字の読み方や発音、単語の構造や代名詞、疑問詞の種類、そして名詞文の作り方といった基礎が書かれている。それを踏まえた第2部では、「区別のしくみ」、「人と時間のしくみ」、「「てにをは」のしくみ」、「数のしくみ」、「実際のしくみ」が収められている。「区別のしくみ」ではスワヒリ語で最も厄介な名詞のクラスについて、「人と時間のしくみ」では動詞文について、「「てにをは」のしくみ」では接辞と前置詞について、「数のしくみ」では数の読み方について解説がされている。そして、最終章の「実際のしくみ」は、実際の日常でスワヒリ語がどのようにして用いられているのか、街角の看板や、なぞなぞ、歌詞、昔話の語りなど、あたかもフィールドに飛び出して実践練習するような感覚が楽しめる章になっている。

 前の段落では動詞文とか、接辞とかの文法用語を用いてしまったが、本書の特長の一つは、たとえば接頭辞を「カシラ」として呼んでみるなど、文法用語を使わない説明がされている点だろう。とかく文法用語の意味を理解するのに手間取る語学音痴の評者にとっては、とてもありがたい特長だ。しかし、本書の一番の魅力はといえば、その語りかけるような文体だろう。まるで、ページの裏側から著者がこっちを覗いているかのように、質問をしてきたり、ボケてみたり、ツッコンできたりする。そうした著者のリズムに自然と取り込まれていくうちに、スワヒリ語のしくみはおろか、単語も頭に入ってくるから不思議だ。著者が実際に教えるスワヒリ語のクラスの楽しさが行間から伝わってくる。

 楽しさばかり強調してしまったが、実は、例文に含まれる語彙も豊富である。また、入門書や会話練習帳にありがちな絶対に日常で使わない文章や語彙よりも、たとえば評者がザンジバルの街角でよく耳にするようなきわめて実用的な言い回しや語彙が散りばめられている。本文の説明や、その合間に挟まれたコラムでは、スワヒリ語のしくみを説明しながら、スワヒリの文化や日常生活についても知識を深められるような題材が取り上げられている。

 スワヒリ語の話されている世界は、見ず知らずの人でもKaribu(ようこそ、いらっしゃい)と言って家や団欒のなかに招き入れてくれるホスピタリティーがある。そんなスワヒリ世界のホスピタリティーを読者に振舞って、スワヒリ語の世界に誘ってくれる本書は、スワヒリ語に関心のある人にも無い人にもぜひお薦めだ。(東京大学大学院博士課程、鈴木英明)

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『サーデグ・ヘダーヤト短篇集』

サーデグ・ヘダーヤト著/石井啓一郎訳
慧文社、2007年

表紙

 普段読まないイラン物に手を出したのは、訳者の石井氏と縁あってカイロでハマームを食べた思い出から、という個人的な理由による。あの時はイランを訪問したついでにカイロまで足を伸ばしたのだろうか。笑顔の穏やかな、温厚そのものといった外見と裏腹に、一般企業でのフルタイムの仕事の傍ら現代イラン文学を翻訳し続けている情熱をもつと聞き、驚きと尊敬の念を抱いたことをよく覚えている。そんな理由で手にとった本書だが、開くやいなやペルシア語・アラビア語原語の日本語表記についての但し書き(「凡例」)が目に飛びこんできた。そのマニアックな細かさがなんとなく嬉しく、本文を読む前から期待感が高まる。試しに一つ目の作品「鉤爪」を読んでみれば、ぐいぐいと物語の世界へと引き込まれていく。しかし哀しいのはこちらの力不足。いかんせんイランに関しては不勉強、文芸批評など出来ない朴念仁で、短評を書こうと思った端から言葉がこぼれていって、この面白さ・凄さをうまく言葉にできない。仕方がないので、まともな紹介は専門の方の投稿を待つとして、今回は一応の概観を述べておこう。

 本書『サーデグ・ヘダーヤト短篇集』は石井氏にとって、三冊目の翻訳書である。一冊目は、同じくサーデグ・ヘダーヤトの『生埋め−ある狂人の手記』(文学の冒険48 国書刊行会、2000)で、二冊目がナーズム・ヒクメットの『フェルハドとシリン』(慧文社、2002)である。両方とも、過去にこの文献短評コーナーで紹介されているので、あわせて読むと面白いと思う(ページ8と11)。特に渡部良子氏による『生埋め』の短評はすばらしい。あと、ヘダーヤト作品の一つ「不思議の国」が、『ペルシア民俗誌』(岡田恵美子・奥西峻介訳註、平凡社東洋文庫、1998)に収録されているが、これもすでに短評で取り上げられている(ページ3)。

 本書は題名の通り、10〜20頁ほどの短篇を10篇揃えている。各作品には訳註が附けられているのだが、これがまた訳者の博学な知識と自らの足で旅して学んだイランの実地的な理解にもとづいた丁寧でわかりやすい解説であり、知らない人にもイランのことをグッと身近に感じさせるものである。また本編の後には、訳者による60頁ほどの「ヘダーヤト略伝」、20頁ほどの「本書収録作品について」、10頁ほどの「訳者あとがき」が附せられている。「ヘダーヤト略伝」ではヘダーヤトの半生が丁寧に描き出され、「本書収録作品について」では収録作品の簡単な解説および本書構成の理由などが述べられている。さらに「訳者あとがき」では、訳者自身の来歴やペルシア文学翻訳への思いなどが雄弁に語られており、凡例や訳註の丁寧な仕事ぶりにつながる訳者の熱意が読み取れる。このように、本書は単に「20世紀イランを代表する大作家サーデグ・ヘダーヤト」の作品を日本語に訳したものではなく、へダーヤトに魅せられその作品の理解に情熱を傾けた一人の「芸人」の公演作品といえるだろう。古典的楽曲を苦心して読み解き自分なりに表現しようとする現代音楽家にも似た姿がそこにある。

 そうして数あるヘダーヤト作品の中から10篇を選び出し編纂するにあたって、訳者はヘダーヤト作品に見出される4つの主題的特徴を抽出している。第一に、ヘダーヤトの独創的な文学スタイルとして後に「批判的リアリズム」と呼ばれた手法を用いた作品群がある。社会の底辺に生きる人々の生活の惨状を、皮相的な同情や共感をもって語るのではなく、冷徹ともいえる詳細さで描き出すことで、その描写自体に問題提起を織り込むような手法である。本書冒頭を飾るのが、そうした作品の一つ「鉤爪」である。第二に、若き日のヘダーヤトが文化ナショナリズムへ傾倒する中で生み出した、ペルシア独自の文化的伝統を強調する作品群がある。本書では、「拝火教徒」と「最後の微笑」がそれにあたるが、ゾロアスター教や仏教といったイスラームとは異なる宗教への憧憬が込められていて興味深い。第三に、ブラック・ユーモアがたっぷり込められた風刺性の強い作品群がある。詩集『ワンワンご主人』から「ミザントロープの話」「キングコングの話」「鼻毛の話」の三篇の小話。そして、千夜一夜物語を髣髴とさせる寓話「生命の水」である。そして第四に、幻想的で心理劇的な描写を用いた、サイコ・フィクション的な作品群(「袋小路」「仮面」「慕情の幻影」「明日」「欲望を滅却した男」「暗室」)が挙げられる。石井氏によれば、代表作『盲目の梟』(中村公則訳、白水社、1983)も含まれるこの第四の作品群こそ作家ヘダーヤトの本領であり、訳者自身もこの系譜の作品である「袋小路」には強い思い入れがあるようだ。

 それにしても、すべての作品に通底し、とりわけ「袋小路」や「暗室」などの第四の作品群に色濃く漂う危うさ、読み終えるまで一息もつけないような息苦しさは何なのだろうか。「仮面」や「欲望を滅却した男」に見られる、運命的な破滅へと駆け急いでいく切迫感は何なのだろうか。「略伝」で紹介された作者ヘダーヤトの感受性の顕れなのか、彼の生きた時代の政治的激動のせいか、パリが陰鬱さを好んだのか、イランにも文学にも疎い評者には残念ながらわからない。しかし緻密な文体に支えられた原著の迫力・魅力は、十分に感じることができた。かつて『生埋め』を評した渡部氏の言葉は、本書にも当てはまるだろう。「イラン文学や歴史を専門としなくても、ただ小説を読むことが好きな人なら誰でも手にとって欲しい本である。」本書を読んで、評者も遠い国イランのことが少し気になってきた。(竹村和朗)

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『イラン音楽―声の文化と即興』

谷正人
青土社、2007年 (CD付)

表紙
 この本を書いた谷さんは、大阪音大でピアノの勉強をしていた時に民俗楽器サントゥール(金属弦を撥で直接叩く;一説にはピアノの先祖)の存在を知り、その音色に取り憑かれ、そのままイランに修行に行ってしまったという、なかなか真似のできないタイプの肝の据わった人物だ。テヘランに向かう飛行機に乗って初めて、イランではペルシア文字(アラビア文字)が使われていることを知り、慌てて数字の読み方は習ったものの、そのままタイムアップになってテヘラン空港に降り立ったという武勇談は、(色々なヴァージョンの伝承を生み出しながら)一部のイラン研究者の間では神話となっている。

 90年代後半に私がテヘランで出会った谷さんは、著名な師匠たちのレッスンに通い、イラン国立芸術大学のサントゥール科にも籍を置く、サントゥール演奏実技の求道者だった。テヘラン大学芸術学部を会場として開かれた第1回イラン学生音楽コンクールでサントゥール独奏部門に参加し見事奨励賞を受賞した谷さん、その姿を会場の端からまぶしく眺めながら深い感動に浸ったことが私には忘れられない。

 およそ10年の時を経て、その谷さんが大変身して私の前に現れた。今度の谷さんは、広い視野を備え、楽譜の読めない人間にも音楽のあり方を伝えるだけの筆力を兼ね備えたアカデミックになっていた。固定的な短旋律の棒暗記から始まる修行を経て一人前になったイラン伝統音楽の演奏者は、しかし、即興演奏を行うことができるからこそ一人前と認められる。この一見パラドックスに見えるギャップは一体何なのか、谷さんはそれを説き明かしていく。短旋律を棒暗記する学習者にとって、その作業は本当はどのような意味を持っているのか、つまり、彼ないし彼女はその作業の奥に何を感じ取り何を体得しているのか。また、「即興」とはそもそもいかなる営為なのか。それは、これまでしばしば言われてきたように、規範となる形を踏み台にした演奏者のオリジナリティの発露なのだろうか。

 谷さんの議論は、オングの「声の文化」「文字の文化」概念や自らの修行体験に支えられながら展開する。そもそもは楽譜に書かれることなく師匠から弟子へと実際の音を通じて伝えられていた短旋律の数々は、決して、演奏家にとって外在的な規範として覚えられているのではなく、ムードや音楽の流れも含め、演奏家たち全員が共有する身体感覚のようなものを体得させる手段であること。そうした身体感覚の背後には、暗誦されるものとしてのペルシア語古典詩の伝統や連綿とした「語り物」の文化が存在すること。そして即興とは、そうして身体化された感覚にもとづいて、個々の演奏家が、共有のものとしての音楽を場面場面に応じて「思い出」しながら演奏するという行為であること。そうした音楽のあり方は、五線譜や「練習曲」という「文字の文化」の産物の導入によって大きな変貌を遂げつつあること、などなど。門外漢の私には音楽研究における位置づけはとてもできないが、本の帯に書いてある「従来の「即興」概念を書きかえる、画期的成果」というのは単なる宣伝ではないのだろうと直感される。

 しかも、谷さんの議論は音楽の枠を軽々とこえている。歴史研究をやっている私の関心に引きつけて言うならば、谷さんの描き出す音楽の「声の文化」的あり方は、例えば特定の叙述史料が様々な改変を加えられながら書写されていく際の書写生の心理を考える上で有用だし(作品は著者のものか共有のものか、など)、五線譜上の楽譜が一体何を表しているのかについての谷さんの説明を突き詰めて考えていくと、話は例の言語論的展開をめぐる様々な議論につながっていくように思われる。

 この本は、谷さんのここまでの音楽的遍歴と研究者としての才能と根性とが絶妙にマッチした、得がたい配剤のもとで初めて可能になった貴重な仕事である。これまでの遍歴ぶりからすると、明日、谷さんがどこかで傭兵になったというニュースを聴いても納得してしまうような気もするが、私としては、もうしばらくの間、研究者としての谷さんの仕事を読み続けてみたい。(森本一夫)

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『世界の食文化10―アラブ』

大塚和夫編(石毛直道監修/大塚和夫責任編集/執筆者は、黒木英充、酒井啓子、大川真由子、大坪玲子、宮治美江子(執筆順))
農山漁村文化協会、2007年

表紙
 本書は、非常に腹の空く読み物である。少なくとも評者のように、「アラブ」の食を味わったことがあり、また胸中に少なからぬ好い思い出をもつものにとっては殊更である。思い返すだに悔しいのだが、蒸し暑い日が続くなかで珍しく涼しさを感じさせるある日、評者は何気なく本書を手にとった。時はあたかも昼下がりのおやつタイム、かといってまさかこのようなことが待ち受けているとは思いもせず、お菓子もお茶も用意せぬままに評者は気の向くまま本書を読みはじめたのであった・・・。

 読み進めるうちに空腹感を覚えるも、止めることかなわず、一気に読み終えたときには、腹が空くあまりに腹立たしい思いに駆られ、我が家の冷蔵庫を開けたものの、真夏の太陽が暑かったせいか、しなびた野菜とパックの納豆が目に付いただけであった。さりとて何かなければおさまりがつかぬと一人憤っていると、少し前に買ったグレープフルーツが冷えているのを発見した。第一章執筆者の黒木氏の「平均的な日本人よりはシリア人やレバノン人の方が、ずっと多くの量の果物を食べているように思える」という言葉をしごくまっとうだと思いながら、されば日本人の平均値を少しでもあげるべしと、包丁を掴む手ももどかしくグレープフルーツにかぶりついた。冷えてさっぱりとした甘みを楽しみつつ何か物足りなさを感じながら、うちの冷蔵庫に少し冷めて固くなっていてもいいから、クナーファの一切れでもあればいいのにと思った。

 本書、世界の食文化シリーズ(全20巻)のうち、第10巻として刊行された。本シリーズには、韓国や中国のように単一の国だけが扱われる巻や、オーストラリア・ニュージーランドのように複数の国が含まれる巻、アフリカ、アメリカのようにさらに大きな地域が含まれるが、本書は「アラブ」をカバーするものとして設定されている。巻頭の序章にて、この地域設定・「文化」圏設定とはどういった意味合いや問題性、あるいは妥当性があるのかという議論を、編者の大塚氏が言語やアイデンティティの側面から説明しつつ、枠組み内部の多様性をも明示化するところ、まずは中東世界を長年「料理」してきた編者の熟練の技を感じさせられた。

 この序章を、編者いうところの「少し胃に重たいかもしれない」「前菜」とすれば、「メイン・ディッシュ」はマシュリクからアラビア半島、ナイル河畔を経てマグリブへ至る堂々たるものである。読者は、同じアラブ、イスラーム文化を基層として共有しながらもその土地土地の特性を十分に生かした料理の数々を味わうことになる。評者はエジプトに滞在した経験があるので、レバノン・シリアの豊かで精妙なる食世界を憧れのまなざしと滔々たる睡液の奔流をもって眺め、インド亜大陸と東アフリカの交易航路の中継地としてのオマーンやイエメンのスパイシーで非常に多様な食生活に驚きを感じ、モロッコのクスクスには相変わらず不思議さを感じつつ、タジーンと聞くと舌なめずりをしてしまう。読者各人にそれぞれの食体験や好みがあるので、各者各様の楽しみ方ができるであろう。

 本書の特徴として一つ忘れてはならないのは、「食」という「文化」に注目し、「異文化」の「食」を語るなかで、各執筆者がそれぞれのやり方で、歴史的な背景をもったものとしての「文化」、「現在進行形」の「文化」を描き出すことに力を注いでいる点であろう。各執筆者の文体・構成は少しずつ異なるが、それぞれ自らの個人的食体験を提示し、それを手がかりにしながら、食世界により深く入り込むとともに、それぞれが体験した「現在」としての食文化を歴史的な流れのなかに位置づけている。巻末に収められたシリーズ監修者のことばにあるように、本シリーズの目的は「食を切り口にしてみえてくる地域や民族の文化についての考察」の試みであり、その際、現代の食文化の歴史性を重視し、現在の形を伝統と変容の流れのなかにとらえようとする姿勢が強調されている。この点において、本書は単なる「美味しい」読み物であるだけでなく、現代「アラブ」世界の政治経済的な状況の興味深い入門書ともなっている。これから「アラブ」を学びたい人と、すでに「アラブ」を経験した人、どちらにも楽しめる内容になっていると思う。ただし読む際には、美味しいお菓子とお茶の準備を忘れないように!(竹村和朗)

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『イランの温泉を求めて―ペルシア1万キロの旅』

川崎義巳
文芸社、2006年

表紙
 とても面白い本である。イランの温泉のことも分かるが、何よりイランのこと、そして、突然イランに行った普通の日本人が何を感じるのかが良く分かるのがいい。

 イラン政府から観光資源化を見据えた温泉調査を依頼された日本人一行4人が、一ヶ月の間にイラン国内に散在する23箇所の温泉を巡った強行軍の記録+温泉の紹介というのが、本書の内容である。頼れる運転手「アキパー」(アクバルか)が運転し、やや調子のいいガイド、「モリ」(?)も乗り込んだミニバスで一行は旅を続ける。かなりの僻地も含め各地を巡り、温泉水の温度を測り、サンプルを採取し、歴史や利用状況を調査するのである。その過程で著者たちは、否応なくイランとイランの人々との関わりを深めていくことになる。礼儀正しく人情に篤い人々に感動する反面、仕事のパートナーとしてのルーズさや甘さに苛つく著者。油っぽく単調な食事にほとんど最初からお手上げの著者(ただし、一行中の若者は楽しんでいたとか)。いずれもどこかで見たイランであり日本人であるが、これが(ありがちなように)非難がましくではなく、事実として淡々と、かつ懐かしげに書いてあるので、イラン愛好者の評者のような者も、安心して「そうそう、イランはこうだ」と共感し、読むことができる仕上がりになっている。これから仕事でイランに赴任される方には、行き先の様子を知る上で大変役に立つ本ではなかろうか。

 イラン辺りの歴史を勉強している身にとっても大変感興をそそる本である。温泉関係の人々は、やれ2000年前からというように、えらく古くからの利用を主張しているらしいが(そしてそれはそうなのだろうが)、さて、イランでの温泉利用についての歴史研究はどうなっているのか。少し調べてみなければならない。また、ここに書いても仕方ないが、次回調査がもしあるならば、ぜひ自分にも声をかけて欲しいと熱望する(あと考古学者と人類学者も一緒に)。

 最後に、日本から専門家一行を招聘しておきながら、運転手とガイドだけをつけてあとは自助努力に任せたように見えるイラン文化歴史遺産観光省、どうやら行き先の正確な場所さえきちんと提供していなかった同省、その豪胆な振る舞いにも懐かしくイランを感じたことを書き添えておきたい。その豪胆さゆえにこそ、本書のような奇書(?)が誕生したのだから。(東京大学東洋文化研究所、森本一夫)

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『シーア派の自画像―歴史・思想・教義』

モハンマド=ホセイン・タバータバーイー著/森本一夫訳
慶應義塾大学出版会、2007年

表紙
 イスラームに関して、これまで多くの入門書・概説書が日本語でも出版されてきたが、本書はその中でもっとも「常識はずれ」の一冊であろう。
本書の核となるのは1969年に『イスラームの中のシーア派(Shi‘ah dar Islam)』という題名で出版されたペルシア語本、著者は黒いターバンを巻いたイラン人の碩学、哲学者にしてクルアーン注釈『秤』の著者としても名高いタバータバーイー師(1904-81)である。この人が「イスラームとは何たるか、シーア派とは何たるか」をとうとうと説くのであるが、当然ながら、その語りの底辺には、シーア派こそがイスラームの中心であり、イスラームそのものであるという主張があり、シーア派が受け継いできた知識こそが真実であるという揺るぎない確信がある。

 最近、エジプトやサウジアラビアで出版された宗教冊子などを愛読している評者は、本書もそうした冊子類と同じく、クルアーンや伝承をもとに「証明」を重ねながらシーア派の正当性を説くのだろうと予想しつつ、冷静な面持ちで読み始めた。ところが、その内容たるや予想以上で、ページを繰るごとに、思わず「なんと!」「知らなかった!」「ほんと!?」「ウッソー!?」などという奇声を発し、いちいち誰かに報告したい衝動に駆られたのであった。

 シーア派の言説では三代のカリフとウマイヤ家の横暴がこの上なく糾弾されるという話は聞いたことがある。しかし、初期イスラームの歴史に関するタバータバーイー師の語り(pp.40-63)を読んでいると、彼らのあまりの所業、アリー(シーア派初代イマーム)一族のあまりの悲劇に、評者までもが激しい憤りを感じてしまった。この辺り、シーア派の語りものや宗教学者の説教に通じた森本氏による邦訳だからこそ、師が代弁する「怒り」や「悲しみ」が再現できたのではないかと思う。

 しかし、もっとも驚いたのは、預言者ムハンマドがヒラーの洞窟で最初の啓示を受けた後の逸話である。タバータバーイー師によると、預言者は自宅に戻る途中、アリーと遭遇したという。そこでアリーは預言者から事の顛末を聞き、その場でイスラームへの信仰を表明したのである(pp.147, 188)。これはイスラーム史に関する評者の記憶と完全に異なっていた。預言者は、最初の啓示を受けた後、「走るように山をおり、妻のハディージャの膝にすがりついてその恐怖を訴えた」(中村廣治郎『イスラム』東京大学出版、1977、p.39)のではなかったか。ハディージャこそが、最初の信徒であり、ムスリム、とくにムスリム女性たちの誇りではなかったのか。なぜ、ここで突然アリーが登場するのか。これはいったい、本当の話なのだろうか。

 ここまで読み進めてふと思った。イスラームに関してこれまで自分が「常識」だと考えていた事柄は、ある一部の情報をもとにした知識に過ぎなかったのではないか、と。イスラームとは何か、歴史とは何か、信仰とは何か。本書はこうしたことを改めて考えさせてくれる一冊である。そういう意味でも、原著の出版から実に38年を経て邦訳されたにもかかわらず、本書は、今後もっとも「新鮮な」イスラーム概説書の一つとなるように思われる。

 最後に、無味乾燥な原題を、(訳者からの日本の読者へのメッセージという意味も込めて)『シーア派の自画像』と改め、ペルシア書道の大家モハンマド・ホセイニー・モヴァッヘド氏による流麗なシェキャステ体で表紙を飾った森本氏のセンスと人脈の広さには(短評の会前会長という人徳を抜きにしても)大いに拍手を送りたい。(東京大学大学院、日本学術振興会特別研究員 後藤絵美)

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タタールのくびき―ロシア史におけるモンゴル支配の研究』

栗生沢猛夫
東京大学出版会、2007年

表紙
 本書は、中世ロシア史の専門家による学術書であり、タイトルが物語るように、いわゆる「タタールのくびき(ロシアにおけるモンゴル支配)」という大きな問題に真っ向から取り組んだ意欲作である。本書を詳細に論評することは評者の能力を超えているため、ここでは、モンゴル(ジョチ・ウルス)史研究の一端に関わる者の視点から本書を簡潔に紹介してみたい。

 まず、著者の史料に対する態度について触れておこう。「ロシア史におけるモンゴル支配の研究」となると、当然ペルシア語史料などのモンゴル(支配者)側の諸史料が立ちはだかるが、著者はこれらの諸史料を「意識的に」対象からはずし、もっぱらロシア語史料と文献を検討対象としている(とはいっても、モンゴル側の史料をまったく無視しているわけではなく、英訳・露訳の形でできうる限り参照している)。著者によれば、中途半端になることを恐れたからであり、また、本書の主要な目的が、「キプチャク・カン国(ジョチ・ウルス)」そのものの研究ではなく、「カン国の支配の問題に対する古今のロシア人の認識を問うこと」だったからである。こうした著者の態度に関しては賛否両論があるかもしれないが、ここは著者の潔さが表れているところであり、むしろそれによって著者の問題意識が鮮明になっているところであろう。加えて、本書で利用されている年代記などのロシア語史料や文献は圧倒的な量であり、まさに「ロシア史」の視点から見た「タタールのくびき」の研究という点に本書の価値はあるのである。

 本書の内容は、第1部「ロシアにおけるモンゴル支配の成立」(とくに、バスカク制について)、第2部「アレクサンドル・ネフスキーとモンゴルのロシア支配」、第3部「ロシアとモンゴル」、となっている。また、巻末には関連史料(ロシア年代記)の邦訳が付されており、本書に史料集としての価値も与えている。本書全体を貫いているのは、先行研究への微細にわたる検証の視線であり、厳密な史料批判の態度である(この点では、本書は重厚な研究史としての性格を併せ持っている)。一読して、その徹底振りに脱帽させられた。例えば、第2部においては、先行研究の誤りはもちろんのこと、随所に見られる偏向(アレクサンドル・ネフスキーへの英雄視)などを逐一取り除き、厳密な史料批判のうえに立って、最低限ここまでは言えるであろうというところでの「史的アレクサンドル・ネフスキー」の年表を再構築している。

 第3部「ロシアとモンゴル」において展開されている、「タタールのくびき」の意義についての議論はとりわけ興味深い。この「タタールのくびき」がロシアにもたらした影響に関しては、多くの先行研究が実に多種多様な学説を提示してきたわけだが、ここでも著者はそれらを丁寧かつ批判的に検証していく。そうした作業を進めていくなかで、著者はさまざまな見解を示しつつも、「タタールのくびき」の意義についての明確な結論を述べるのは慎重に避ける。そして、「タタールのくびき」の影響を諸制度などの技術的な側面に認めながらも(ただし、それらを論証するのは史料的に困難であるとしている)、「ロシア人の根本(アイデンティティ)にかかわる点に影響を与えることは少なかったといえる」と結んでいる。こうした結論にはさまざまな反論があるかもしれない。しかし、本書が消化している先行研究の蓄積は膨大なものであり、著者の議論は慎重に慎重を重ねたものである。生半可な反論ならば弾き飛ばされてしまうであろう。

 今後、「タタールのくびき」の歴史的意義の問題に対して、モンゴル史研究の側からはどのように応えていくのか。その際、「ロシア史」の視点から見た「タタールのくびき」の研究書であり、重厚な研究史、関連史料集としての性格も併せ持つ本書は、論破する対象ではなく、大きな一助となるはずである。(北嶺中・高等学校、長峰博之)

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