イスラームに関して、これまで多くの入門書・概説書が日本語でも出版されてきたが、本書はその中でもっとも「常識はずれ」の一冊であろう。
本書の核となるのは1969年に『イスラームの中のシーア派(Shi‘ah dar Islam)』という題名で出版されたペルシア語本、著者は黒いターバンを巻いたイラン人の碩学、哲学者にしてクルアーン注釈『秤』の著者としても名高いタバータバーイー師(1904-81)である。この人が「イスラームとは何たるか、シーア派とは何たるか」をとうとうと説くのであるが、当然ながら、その語りの底辺には、シーア派こそがイスラームの中心であり、イスラームそのものであるという主張があり、シーア派が受け継いできた知識こそが真実であるという揺るぎない確信がある。
最近、エジプトやサウジアラビアで出版された宗教冊子などを愛読している評者は、本書もそうした冊子類と同じく、クルアーンや伝承をもとに「証明」を重ねながらシーア派の正当性を説くのだろうと予想しつつ、冷静な面持ちで読み始めた。ところが、その内容たるや予想以上で、ページを繰るごとに、思わず「なんと!」「知らなかった!」「ほんと!?」「ウッソー!?」などという奇声を発し、いちいち誰かに報告したい衝動に駆られたのであった。
シーア派の言説では三代のカリフとウマイヤ家の横暴がこの上なく糾弾されるという話は聞いたことがある。しかし、初期イスラームの歴史に関するタバータバーイー師の語り(pp.40-63)を読んでいると、彼らのあまりの所業、アリー(シーア派初代イマーム)一族のあまりの悲劇に、評者までもが激しい憤りを感じてしまった。この辺り、シーア派の語りものや宗教学者の説教に通じた森本氏による邦訳だからこそ、師が代弁する「怒り」や「悲しみ」が再現できたのではないかと思う。
しかし、もっとも驚いたのは、預言者ムハンマドがヒラーの洞窟で最初の啓示を受けた後の逸話である。タバータバーイー師によると、預言者は自宅に戻る途中、アリーと遭遇したという。そこでアリーは預言者から事の顛末を聞き、その場でイスラームへの信仰を表明したのである(pp.147, 188)。これはイスラーム史に関する評者の記憶と完全に異なっていた。預言者は、最初の啓示を受けた後、「走るように山をおり、妻のハディージャの膝にすがりついてその恐怖を訴えた」(中村廣治郎『イスラム』東京大学出版、1977、p.39)のではなかったか。ハディージャこそが、最初の信徒であり、ムスリム、とくにムスリム女性たちの誇りではなかったのか。なぜ、ここで突然アリーが登場するのか。これはいったい、本当の話なのだろうか。
ここまで読み進めてふと思った。イスラームに関してこれまで自分が「常識」だと考えていた事柄は、ある一部の情報をもとにした知識に過ぎなかったのではないか、と。イスラームとは何か、歴史とは何か、信仰とは何か。本書はこうしたことを改めて考えさせてくれる一冊である。そういう意味でも、原著の出版から実に38年を経て邦訳されたにもかかわらず、本書は、今後もっとも「新鮮な」イスラーム概説書の一つとなるように思われる。
最後に、無味乾燥な原題を、(訳者からの日本の読者へのメッセージという意味も込めて)『シーア派の自画像』と改め、ペルシア書道の大家モハンマド・ホセイニー・モヴァッヘド氏による流麗なシェキャステ体で表紙を飾った森本氏のセンスと人脈の広さには(短評の会前会長という人徳を抜きにしても)大いに拍手を送りたい。(東京大学大学院、日本学術振興会特別研究員 後藤絵美)