日本中東学会
Japan Association for Middle East Studies
「米国同時多発事件とウサーマ・ビン・ラーディンの理解の鍵」
中村 覚(東北大学国際文化研究科 博士後期課程)
現在ウサーマ・ビン・ラーディンは、2001年9月11日に発生した米国同時多発テロ事件の首謀者であると見られています。まず今回の米国同時多発テロ事件では、多くの日本人の犠牲者や被害者が発生しており、それらの方々を含めた全ての被害者の方々に、御見舞いあるいは御冥福を御祈り申し上げます。そして問題の事後処理や解決に御尽力されている全ての皆様に、改めて敬意を表します。 日本中東学会が問題提起を行っているように、現在われわれは、今回の事件を果たして適切に理解することが可能なのであろうかという挑戦をつきつけられているといえるでしょう。本稿は、ささやかながら、そのような問題に対しての一つの解答の試みとなることを願うものです
。今回の事件は、中東に関連した事件が発生しているときに、依拠することが可能な情報源や分析視角とは一体何なのであろうかという問題を提起しているものと言えましょう。連日のニュースにおいて、日本の専門家やメディアが、日々御尽力されて作成されている独自の解説記事も多々見られますが、一方では、米国政府の声明や米国のメディアが発信するニュースや解説が、日本の報道機関でもキャリーされる割合がどうしても高くなっているからです。
本論文は、ビン・ラーディンの主張の内容を理解することは、彼への無意味な同情論をもたらすのではなく、問題の適切な解決方法の方向を指し示すためにも必要であるということ点を主張するものとなります。彼について理解するためには、地域研究としての方法論が必要不可欠であると考えられますが、本論文で提起する方法論は、彼の利用するレトリック、彼の人格、彼の活動の3点から分析を行う視角となります。
今回の事件では、ウサーマ・ビン・ラーディンも、彼を攻撃している中心である米国政府も、どちらも恣意的な形で「イスラーム」というレトリックを利用していると指摘できます。結論としては、彼を「イスラーム的狂信者」あるいは「イスラーム原理主義者」と位置づけるだけでは、問題の本質的な背景を理解することはできないであろうということが提起されます。
ビン・ラーディンをイスラーム狂信者と位置づけることは全くの誤った理解の例となるでしょう。その理由は、二つあげられます。 一つ目は、ビン・ラ-ディンの米国不信は、湾岸戦争において「キリスト教徒(多国籍軍)が、イスラームの聖地(サウディアラビア)を占領した」という教義的な問題にだけ由来しているのではないからです。彼自身が明確に述べていますが、ビン・ラ-ディンは、米国の中東政策がパレスチナやイラクなどのイスラーム世界で、無実の女性や子供の生活や命を奪う結果となっていることを批判しているのです。 第二に、パレスチナ問題をはじめとした西欧列強への抗議を展開してきたのは、ビン・ラーディンだけではありません。第二次大戦後の全ての中東の政府は、「テロ」という手段には訴えなかったにしても、パレスチナ問題の解決を一貫して主張してきました。またカッザーフィー、かってのPLOなどのアラブ民族主義的な「テロリスト」、ホメイニー師やサッダーム・フセインなどもパレスチナ問題の解決をはじめとした米国の中東施策の見直しを訴えてきました。そこでビン・ラーディンとそれ以前のアラブ民族主義の接続について着目しなければならないと指摘できるでしょう。 ビン・ラーディンは、彼の主張をイスラームの言葉で語っています。とはいえ、本来彼は、ウラマーのようなイスラーム法学者ではありませんし、将来のビジョンを描ける人間でもありません。彼の人格や活動からは、彼を扇動者と位置づけることが可能でしょう。
彼の行った「テロ」が、今後、果たして彼が意図したように、「米国によるイスラーム世界への抑圧」を終了させる結末となるのか、それともアフガニスタンやイラクへの攻撃を激化させるのかは未知数です。また彼による「テロ」事件の結果、世界の多くの人々がイスラームへの嫌悪感を覚えることとなってしまいました。多くのムスリムの人々も、彼の反米思想は妥当であると考えながらも、彼の「テロ」への米国による報復の結果、新たな死傷者となる被害を受け、難民となっており、米国内では嫌がらせを受けたりしています。多くのムスリムは、事件の影響で米国人との友好的関係が破壊しないだろうかと当惑を感じてもいます。 以上のように過剰な反応がムスリムに対して世界で引き起こされている一因には、ビン・ラーディンが「イスラーム」をレトリックとして利用していることが指摘できるでしょう。
他方、米国によるアフガニスタン攻撃や米国内のハイジャック予防措置は、それだけで適切な政策であるといえるのでしょうか。 戦争の歴史をふりかえるならば、新たな防衛手段がつくりだされしても、常にそれを上回る新たな攻撃手段がつくりだされてきました。米国が「テロ」への新たな防衛手段を講じても、「テロリスト」が、常に新しい攻撃方法を発見する危険を払拭することは難しいと考えられます。米国は、航空機のハイジャックを予防する措置をとりましたが、その後で炭素菌事件が発生し始めていることは、そのような展開が繰り返される危険があることを示唆しています。
たしかに法治国家では「テロリスト」は、罰せられる必要があるでしょう。しかし最善の解決方法は、アフガニスタンへの攻撃やビン・ラーディンの逮捕につきるのでしょうか。むしろ「テロを行いたい」と感じる人々が再生産される状況を改善することがない限り、新たな「テロ」が繰り返される可能性が高いのではないでしょうか。ビン・ラーディンのネットワークによるテロ事件だけではなく、中東の動乱のほとんどが、パレスチナ問題の解決を大義として掲げながら発生してきたことを鑑みれば、そして今までパレスチナ問題が50年以上解決されなかった事実を鑑みれば、今後、 50年以上の粘り強い努力が行われることによって、憎しみが憎しみ生み出す悪循環を断ち切る努力が開始されなければならないでしょう。中東では、パレスチナ問題の解決、中東の人々の貧困の解決、中東における「民主化」の進展などが必要とされているといえるでしょう。
米国は、サッダーム・フセインにせよ、ビン・ラーディンにせよ、自分の都合に合わせて武器を与えてきました。そして彼らが米国に敵対し始めると、自分がそのような軍事的な怪物をつくりあげたことには言及しないままに報復を行うのが、米国のスタイルです。米国大統領は「イスラームに敵対する行動ではない」と繰り返して述べていますが、実は米国政府は、自分たちの政策の失敗を覆い隠すために、ビン・ラーディンによる米国の中東政策に関する批判に関しては言及せず、ビン・ラーディンが「イスラーム的狂信者」であるという印象を与えようとしています。 本論文は、「イスラーム」をめぐるレトリックについて慎重にならないかぎり、今回の米国多発テロ事件をめぐる構図が理解できないのではないのか、という問題提起を行いました。
拙稿「反米のシンボルとしての「テロリスト」の行方-ウサーマ・ビン・ラーディンは、「ジハ-ドの英雄」か「テロリスト」か-」『現代の中東』no.26, 1999年3月 , pp.58-77も御参考にしていただけると幸いです。