日本中東学会
Japan Association for Middle East Studies
「同時テロ 日本はイスラムとの仲立ちを」
(朝日新聞2001年9月20日(木)朝刊15面掲載「私の視点」)
板垣雄三
米国で起きた同時多発テロに日本はどう対処するか、ここで日本の文明戦略が問われている。報復が報復を呼び、巻き添えを食う市民の不条理な死がさらに拡大する悪循環を断ち切らねばならない。欧米対イスラムの文明衝突の戦争を煽るような動きは、厳に戒めるべきである。日本でも、イスラム教徒への嫌がらせや差別が出始めている。
イスラムは、宗教や文化の異なる多様な人々が共生し取り引きする「都市」を生きる生き方を教えてきた。このイスラムの多元主義的普遍主義に対して、欧米は、欧米対イスラムの二項対立にこだわりイスラムを敵と決めつける文明衝突論の伝統をかかえてきた。
イスラム原理主義はイスラムの本道を逸脱し、その対欧米対決主義の二分法は欧米オリエンタリズムの裏返しでしかない。ハイジャックした旅客機を乗客もろともビルに激突させる行為は、悪と戦う善は目的に照らして手段を正当化できるという思想に立っている。
ブッシュ大統領がこのテロとの戦いを善が悪に対してくだす懲罰と説明しつつも、欧米に根強いイスラム敵視をいましめ、イスラム諸国にテロとの戦いでの協同をつよく期待しているのは、「新しい戦争」の大事な特徴である。
ここで日本の役割が浮上する。イスラム世界の日本に対するまなざしは、これまで親愛と期待に充ちたものであった。日本の近隣の国々は歴史の記憶の苦々しさをかくすことができない。しかし広くイスラム世界の人々にとっては、日本は片思いを寄せる恋人であり模範でもあった。欧米のメガネを借りた日本人のイスラム観が、しばしばこれを裏切るものだったとしても。
アラブ諸国の小学校教科書に載ったハーフィズ・イブラヒムの日本を讃える詩を暗唱できる人は多い。広島・長崎の悲劇はイスラム世界が蒙った屈辱と災厄に通じると感じている人も少なくない。
日本人は、日本の経済的繁栄の土台である化石燃料が、あたかも自動的にもたらされたもののように勘違いしてきた。日本社会は、イスラム世界の庶民とその政府の熱いまなざしと心情が日本にとってかけがいのない資産なのだということに、今こそ気づかなければならない。
イスラム文明は近代欧米文明の源泉である。日本の知識人が平気でイスラムへの無知を口にするのは、実はよく知っていると思っている欧米への無知を告白しているにすぎないのである。
世界人類を巻き込む現在の危機において、日本は日本独自の役割を演じなければならない。イスラム原理主義を批判し、「多元的な都市」を生きるイスラム文明の本来のメッセージを評価して、イスラム世界と文明的協力を進める決意を明らかにすべきなのだ。
日本の発信は、国際テロ包囲網の形成に向かって、中国・ロシアをも含むイスラム世界の協力を必須にものとしている米国を、もっとも強力に助けるものだ。日本の呼びかけは、イスラム世界にとって、不信をぬぐえない欧米からの呼びかけとはまったく違う効果を発揮するからである。
2025年には、世界人口の3分の1をイスラムが占めると予測されている。昨年春、イスラム研究会を創設し、今年1月、知識人ネットワークなど日本・イスラム世界間の文明対話の開始を提起していた日本外交は、すでに今日あることに備えていたのだ。
日本は、米国のえんま帳の成績ばかり気にする点取り虫をやめ、今こそ国際社会から尊敬される文明戦略を正面から提示すべきである。