日本中東学会
Japan Association for Middle East Studies
『ガザ戦争-仮想戦争への道-』
田中 聡一郎(たなか そういちろう 日本中東学会員、学習院大学大学院)
ガザ地区におけるイスラエルとハマースの戦闘は解決の目途が全く立っていない。8月19日、イスラエルのネタニヤフ首相は、ガザ地区から3発のミサイル攻撃があったとして、1日延長されていた一時停戦を破棄し、またエジプトからの交渉団の引き揚げを指示した。ここに両者の対話は再び閉じられた。
イスラエル側は今回の地上侵攻の目的を、ハマースによってガザ地区から掘られた地下トンネルを破壊する為とし、9・11同時多発テロ以降から継続されている「対テロ戦争」に位置付ける事で支持の取り付けと正当性の担保を試みている。
しかし、世界で最も過密と呼ばれる難民キャンプに人口が集中するガザ地区への如何なる軍事作戦も、民間人の巻き添え無しに達成する事は不可能であり、イスラエルが圧倒的戦力を以て遂行する空と地上からの攻撃によって2000人近くのパレスチナ人犠牲者が出ていると推定されている。
ガザ地区が戦場となったのは今回が初めてではない。1987年のインティファーダ、2000年のアル=アクサ・インティファーダ、2008年~2009年にかけてのガザ紛争、そして2014年におけるガザへの侵攻と、停戦協定が締結されてはそれが破棄され戦闘にエスカレートするというサイクルが繰り返されている。これらを政治的、歴史的、或いは宗教的な対立による相互不信の結果と結論づける事は容易である。しかしそれらとは別の、両者を戦闘へと誘う動機の存在について考察する必要があるのではないだろうか。
現実的に考えれば、両者が戦闘を中止した上で少なくとも相互不干渉の状態に持ち込む事が事態を好転させる最も有益な方策であると理解できよう。イスラエル軍は戦闘による戦死者や占領コストを低減させる事ができ、またガザ地区を支配するハマースの側は市民の犠牲者を減らし、戦闘コストをガザ地区の再建に回す事で支持を拡大できるのである。しかし、両者にその様な方向性に交渉の舵を切ろうとする素振りは全く感じられない。
ネタニヤフ首相はパレスチナ自治政府がハマースと統一政府を樹立した事に反対し、アッバス議長との交渉を行おうとしない。他方でハマースも守るべきガザ地区の民間人を「人間の盾」として利用し、犠牲者を誘発させる事でイスラエルへの国際的批判を高めるという戦術に出ている。両者には市民の目線に立った長期的な戦略が欠如しており、戦闘の永続化こそが自身の存在を正当化する行為と認識している様に思われる。
それでは彼らは何ゆえにこの様な思考に陥ってしまうのであろうか。R.アスランは著書の中で「仮想戦争(Cosmic war)」の概念を提示している。アスランは「仮想戦争」を、グローバル化と個人の自律が進展し、帰属意識(Identity)が危機に晒される現代において、宗教的概念が従来の国家や共同体に代わる帰属意識として再構成され、その信仰の敵と見なす相手に対して攻撃を加える事で起きる紛争の意味に用いている。最大の問題は、本来は政治上の問題が信仰上のそれに変換され、現実的な解決ではなく信仰の敵に対する永続的な闘争を解決策として見出す点である。即ち一度仮想戦争に参加すると、アクターは半永久的に仮想空間にて敵と対峙し、他方で実際の被害が現実空間に発生する事になるのである。
以上の議論をパレスチナの地にあてはめてみる。イスラエル政治目標は一貫してアラブ人の土地にユダヤ人の国家を建設、維持する事である。そしてユダヤ人はシオニズムの理念により自己の帰属意識を強化し、他者(パレスチナ人)を排除してきた。他方でパレスチナ人は土地を奪われた“難民”として当初から帰属意識を喪失していた。その状況下でムスリム同胞団系のハマースが結成された事は驚くに値しない。ここで注目するべきは、両者の帰属意識における互恵関係である。シオニズムは「パレスチナの地」を「イスラエル」とする為に、絶えず区別し排除する他者を必要とする。そしてそのユダヤ人を自己と区別し「パレスチナ人」としての帰属意識を確立する過程において、シオニズムは排除されたアラブ人達にも不可欠な存在となったのである。ここにおいて、両者は相互に帰属意識を強化し、団結する為に他方と対峙し続ける事を半ば宿命付けられ、その負の相乗効果の中で仮想戦争が加速されていると考えられるのである。
この仮想戦争からの脱却には、両者を現実世界にて交渉による政治解決の道につかせる以外に方法は無いが、イスラエルによる入植政策が続くかぎり交渉再開は非現実的であると思われる。その意味で2006年のパレスチナ立法評議会選挙におけるハマースの勝利は、アクターの一方を現実の政治に組み込む機会であった。
交渉の再開には大国及び周辺国の協力が不可欠であるが、アメリカは山積する国内問題に追われ、周辺国はアラブの春以降において不安定となり、国家間の関係も変化しつつある。以上から、現状において解決への道筋は難しさを増していると言わざるを得ないと考えられる。
※本投稿を作成するに際し、以下に挙げる文献、及び各報道機関における記事を参考とした。
レザー・アスラン(白須英子訳)『仮想戦争 イスラーム・イスラエル・アメリカの原理主義』藤原書店、 2010年
ヤコブ・M. ラブキン(菅野賢治訳)『イスラエルとは何か』平凡社、2012年