「『ムクタビス』の手写本なら,エジプトにあるらしいよ。そこに住み着いているレヴィ=プロヴァンサルの娘だか姪だかが持っているんだ。もう相当な歳だけどまだ未婚で,もし結婚してくれる男性が現れたら,手写本を譲ってもいいと言っているとか...」
もう10年も前のことだ,マドリードの日本料理屋でスペイン人の大学院生からこんな話を聞いたのは。ほとんどスペイン語が話せなかった僕は,その院生と,彼の話を日本語で説明してくれる日本人留学生の顔とを見比べながら,目が点になっていた。あの失われた手写本がエジプトにある...!?「どうだい,エジプトで結婚してみるかい?」とビル・ゲイツにちょっと似た切れ者の彼が,にやにやしながら問いかけてくる。うーん,手写本は見てみたいけど,その女性,何歳なんだろう... ともかく,結婚云々は冗談にしても,エジプトに手写本があるということはスペインのアラブ研究者の間では口コミで広まっていて周知のことらしかった。
アンダルス史にたずさわる者ならば,イブン・ハイヤーンと彼の年代記『ムクタビス』を知らない者はいないだろう。11世紀に著された後ウマイヤ朝研究の最重要史料だ。ただし,この年代記は一部散逸していて完全な形では伝わっていない(詳しくは『東洋学報』85:1(2003)に掲載の拙稿「アンダルスの失われた手写本」を参照)。中でも第2巻の前半部は,アンダルス研究の大家レヴィ=プロヴァンサルがフェスのカラウィーイーン・モスクから借り出したまま,その死後(1956年),行方不明になってしまっていた。彼自身はそれをアレクサンドリアから校訂・出版するつもりだったらしいのだが,結局,実現しないままになっていたのである。レヴィ=プロヴァンサルの業績には世話になりつつも,貴重な史料を独占したまま逝ってしまった彼には,僕は以前からいささかの憤りを感じていた。その失われた手写本が,エジプトにあるという。
マドリードの日本料理屋から数年後,僕は留学先のラバトにいた。文化省で働く知人がいて,彼はアラビア語手写本に詳しく,何かと情報通だった。そこである時,マドリードで聞いた話のことを尋ねてみた。すると彼は言ったのだった。
「それはレヴィ=プロヴァンサルの娘じゃなくて,ナビーラ・ハサンというアレクサンドリア大学の教員のことだろう。レヴィ=プロヴァンサルが,アレクサンドリア大学から『ムクタビス』の出版の準備をしていたことは知っているだろう? 彼女は,大学図書館で偶然,彼の旧蔵書にまぎれていた書類入れを見つけた。中をあけてみたら『ムクタビス第2巻』の手写本が入っていたというんだ。」
やはり,手写本はエジプトにあるらしい。レヴィ=プロヴァンサルの娘云々は,この女性研究者の存在から派生した単なる噂話というところか。ところが,件のナビーラ・ハサンは手写本の公開をしぶっているという。それに対して,スペインの研究者からは公開要求も出ているとか。いずれにせよ,やはりエジプトに行けば失われた手写本が見られる,のかも知れない。
ところが,マドリードだったのである。1995年に89歳で死去したスペインにおけるアラブ研究界の「ドン」,ガルシア・ゴメスの蔵書の中に手写本があったのだ。「発見」したのは彼の弟子バルベ・ベルメホで,蔵書整理中の1999年のことだったという。発見後ただちにバルベ・ベルメホは手写本のファクシミリ版を緊急出版した。さらに二年後,スペイン語訳も出版され,今は校訂版を待つばかりである。この両者が表題に挙げた二冊である。
ファクシミリ版が出版されて数ヵ月後,僕はマドリードにいた。失われた手写本の消息を最初に教えてくれた彼は,CSIC(フランスのCNRSみたいなもの)の常勤研究員となって出世街道を進んでいた。CSIC近くのカフェテリーアで『ムクタビス第2巻』の話になった。彼の言うところでは,アレクサンドリアのナビーラ・ハサンが大学図書館から見つけたのは,実はオリジナルの写しに過ぎなかったらしい。ガルシア・ゴメスについては,「彼の力は絶大だったからね」と苦々しく言っただけで,あまり話してくれなかった。
生前のガルシア・ゴメスは,優れたアラビストとして,ありとあらゆる称賛をほしいままにしてきた。マドリードのアラブ研究所長として国内のアラブ研究者を組織し,マドリード大学(コンプルテンセ大学)アラブ研究学科教授として多数の弟子を抱え,さらに1950〜60年代には外交官として中東にも赴任する,と八面六臂の活躍をしてきた人物である。その一方で,学界の権威としての彼の前では,とうてい自由闊達な議論はできなかった,という話も伝え聞いている。
ファクシミリ版の序文によると,ガルシア・ゴメスは,『ムクタビス第2巻』の内容にかかわるような話を,愛弟子のバルベ・ベルメホの前では生前からほのめかしていたという。それなのに,バルベ・ベルメホの学生だった僕の知人は,すぐ近くに手写本があるとも知らず,どことなくオリエンタリズムのにおい漂う無責任な噂話に興じるしかなかったのだ。それでも彼はエジプトに手写本があるらしいということは,仲間内の口コミで知っていた。そして僕はといえば,極東の島国で,手写本はもう見つからないものと一人で思い込んでいたのだ。絶望的なまでの情報の落差。学問においては,論文や学会発表の形で情報を公にしながら議論を深めていくのがルールとされている。しかし,業界内部の非常にプライベートな口コミによる情報交換のなんと大事なことか。そして,今もマドリードで,グラナーダで,あるいはラバトやフェスでどんな話がささやかれているのかと思うと,生来,人付き合いの悪い僕は,焦燥感を通り越してあきらめに似た思いすら感じるのである。
最後に,この手写本の今後について。スペイン王立歴史アカデミーに寄贈されたガルシア・ゴメスの蔵書の中にあったということで,この手写本は,とりあえずはアカデミーの図書館に入るらしい。ただ,ガルシア・ゴメスが手写本を入手した経緯に不明朗なものがある以上,このままで済むとも思われない。そもそも,フランス植民地支配下でなされたレヴィ=プロヴァンサルの手写本借り出しが問題とされ,フェスのカラウィーイーン図書館が何十年かぶりの返却請求をすることも考えられる。何かと「アンダルスの遺産」を自分たちのものとして意識するモロッコの人々のことを思うと,まだまだ『ムクタビス第2巻』手写本には目が離せそうにない。(日本学術振興会特別研究員/東洋文庫 佐藤健太郎)
(追記:最近,この手写本の部分的な校訂が出版された。前述の『東洋学報』所収の拙稿には間に合わなかったので,ここに書誌情報を記しておく。
J.Vallve Bermejo & F.Ruiz Girela ed.y tr., La Primera decada del reinado de al-Hakam I, segun el-Muqtabis II, 1 de Ben Hayyan de Cordoba (m.469 h./1076 J.C.), Madrid, 2003.)