* 文献短評

 
 
 
Jomhuri-ye Moqaddas: Boresh-ha'i az Tarikh-e Jomhuri-ye Eslami

Mohammad Quchani
Tehran、1381 (2002)

表紙
 評者の知る限り、モハンマド・グーチャーニー氏は、97年ハータミー政権発足後しばらくして、後に発刊停止処分を受ける「ホルダード」「ネシャート」「アスレ・アーザーデガーン」などの改革派系日刊紙に政治コラムを書き続け、現在では改革派の有力論客の一人と目される、1976年生の若きジャーナリストである。本書は01年5月〜02年2月頃までの「月刊ハムシャフリー」などに掲載してきたコラムを集成したものである。本書の特徴は、現在に至るまでのイスラーム共和体制の系譜を徹底して調べ上げ、圧倒的な情報量を読者に平たく提示することにあると言える。評者は、「イラン現代政治史に無知なままでは、そのうち今の職場から放逐されるのでは!?」という想像性豊かな危機感に背中を押され現代政治関係の書物を読み始めたわけであるが、とりあえずそのような危機感を和らげる著書ではあったというのが、安易な読後感であった。
 標題は「聖なる共和国:イスラーム共和国史の諸断片」とでも訳せようが、市井の人々が現体制のネガティブな側面を皮肉って用いる「イスラーム共和国 (Jomhuri-ye Eslami) 」というタームに対比させて「聖なる共和国」と名付けるセンスは、なるほどと思わせる。本書の内容はそれに見合うように、以下の通り構成されている。
 第一章では、革命後の大統領選挙略史から始まり、閣僚略史、イスラーム共和党成立とその後、現体制下で権力と財を握ってきた「名家」の概略などの、イスラーム共和体制史の骨格が書かれている。
 第二章では、ハビービー前第一副大統領、ホエイニーハー元検事総長、パルヴァレシュ元教育相、キャッルービー国会議長といった、革命以降は体制に献身しつつ物議を醸しだしてきた個人を取り上げ、イスラーム共和体制の政治史に彼らを位置づける試みを行う。
 第三章では一転して外交関係に目を向け、カストロ・キューバ議長、マクファーレン元米国大統領補佐官、アラファトPLO議長、対サウジアラビア関係を取り上げるが、イスラーム共和体制外交の変化が様々な側面から語られ面白い。
 第四章では、イランの共産主義勢力、ホヴェイダー元首相とその処刑宣告を行ったハルハーリー師、イランの毛沢東主義勢力、「イマーム路線に従う学生」集団、モジャーヘディーネ・ハルグ、モハンマド・ヤズディー前司法権長などを取り上げるが、いずれも特定の書物を利用しつつ革命体制・反革命勢力関係を書き上げている。興味深い話としては、一昨年出版された「Moa’mma’-ye Hoveyda(ホヴェイダーの謎)」
※1及び「Kha^tera^t-e A^yatolla^ Khalkha^li(アーヤトッラー・ハルハーリー回想録)」の2書を用いて1節を割いていることで、ホヴェイダーと65年に暗殺された前任のマンスールとの対比まで遡っているしつこさが目に留まる。また、現在ゴムで隠居生活を送っているハルハーリー師を本章で2節にして取り上げるところは、イスラーム共和体制史を振り返る上で重要な視点といえよう。
 正直な話、情報量が多く、ついていくだけで結構手一杯であった。しかし本書から得た収穫は、登場するあまたの人物がいずれもイスラーム共和体制をここまで作り上げた者たちだということである。有罪判決を受けているミールダーマーディー国会安保外交委員長、銃撃事件後にハータミー大統領と距離を置いているハッジャーリヤーン、現在収監中のアッバース・アブディー※2ら、さらにビータラフやエブテカールなどの現閣僚らなど、米国大使館占拠事件で活躍した「イマーム路線に従う学生」集団出身の改革派人物たちが、ハータミー政権発足時の輝きを失いつつもいまだに改革派のアクターとして意味を持ち続けるところを見るにつけ、この国の舵取りは今もって体制首脳も含む反王制運動世代の手中にあるのだと、評者はいつも再認識するのである。革命より四半世紀が経とうとして、この世代の耐用限界が見え始めている。革命は、グーチャーニー氏の世代へも連綿と受け継がれることが可能なのだろうか?
 グーチャーニー氏の他の著書としては、まだ読みかけではあるが、アブディー氏や、保守の論客アミール・モヘッビヤーン氏らとの対談集「Dowlat-e Dini, Din-e Dowlati(宗教的政府、政府的宗教)」が面白そうであることを最後に付け加えておく。

※ 1 ペルシア語版に先立ち、英語版が刊行されている。Abbas Milani, The Persian Sphinx: Amir Abbas Hoveyda and the Riddle of the Iranian Revolution, Mage Publication, 2000を参照。
※ 2 アブディー氏の対イラク軍事行動に関する邦訳エッセイが、「論座」2002年12月号、pp.42-45.に掲載されている。

佐藤秀信(在イラン日本大使館専門調査員)

戻る

 
 
 
イスラム世界はなぜ没落したか?―西洋近代と中東』

バーナード・ルイス著/臼杵陽監訳/今松泰、福田義昭訳
日本評論社、2003年

表紙
 主要新聞の書評欄がこぞってとりあげた話題の書である。したがってこの本の短評を書くのはやや恐ろしいのだが、文献短評の守備範囲は歴史と文化と思っている現代研究の方々がこれに触発されて投稿して下さることを祈って勇気を出してみる。

 この本が話題になっているのは、そこで提示されている「事実」が斬新なものだからではない。この本で述べられている「イスラム世界」の「没落」に関わる個々の「事実」はいたって標準的なものである。ではなぜそのような本がわざわざ訳出されたのであろうか。それは、著者ルイスがそれらの標準的な「事実」を取捨選択し解釈していく際に用いる「枠組み」あるいは「思考様式」が、批判の対象として、翻訳に関係した人々の目にとまったからであろう。本書の冒頭に置かれた監訳者解題の表題は、実に「バーナード・ルイス―ネオコンの中東政策を支える歴史学者―」という、ルイスが見たらぶったまげそうなものとなっているのである。監訳者はそこで、この本を「中東イスラム世界の文脈でアメリカの行動を正当化する教科書であり、かつ指南書である」と性格づけている。そして、この解題がこの本を話題の的にすることになった。少なからぬ論者がこの解題を偏向が過ぎるものとして批判したからである。そのような人々は同時に、この本の内容を中東イスラーム社会が直面する冷厳な事実をかなり正確に記述したものと評価しているようである。

 本書においてルイスが対象に対し見せる態度は実に厳しい。中東イスラーム世界が「没落」していった経過を様々な側面から描いた後、彼は、中東の人々には責任転嫁をやめて自己批判しないと未来はないと診断しているのである。上で述べたこの本をめぐる見解の相違には、偉そうで独善的とも見えるこの診断に憤るか、(論者によっては診断が独善的なことには一定程度留意しつつも)その的確さに信頼しようとするかといった態度の相違が反映しているように思われる。

 評者としては以下の二つの点をメモしておきたい。まず、この本は確かに「新事実」を提示していないという意味では標準的な「事実」を書いたものかもしれないが、決して様々な性格を持つ標準的な諸「事実」をまんべんなく書いたものではない。一読すれば、事実の選択にルイスの見地が(当然のことではあるが)大いに影響を与えていることが了解される。したがって、この本の診断が的確であるかどうかという判断はルイス自体をどう評価するかという問題と密接に関わることになる。この本に対する評価は評価する本人の立脚点次第と言えば極論であろうが、しかし多分にその側面があるのである。評者には、監訳者のようなやり方でルイスを「ネオコンのイデオローグ」と断罪するのはややどうかと思われるが、かといって、この本の内容のみから「没落の事実関係」を判断しようとする読者にはちょっと待ったと言わざるをえない。

 次にこの本は、最初の部分は「なぜ中東は近代化に失敗したか」という本として読むことが可能であるが、徐々に「なぜ中東は西洋化に失敗したか」という本としてしか読むことができなくなる。評者は、衣食住が満たされなければ生きていけない生物であるかぎり、現代の世界において「『近代化』の失敗」=「没落」と考えざるをえないことにはしぶしぶながら同意せざるをえない気がするが、「西洋化の失敗」=「没落」であるというならば、それにはなかなか同意できそうにない。この本は、読み進んでいくにしたがって話が焦点を結んでくるようなものではなく、いわばムードで押してくるようなところがある。その中で、「没落」として論じられていることには大きなブレが見られるように思う。

 確かに戦争をすれば負ける、産業は育たない、時間は守れない、権威主義的政治体制は無くならない、などなど、うまくいっていないことは多い。このことは決して等閑視されたり無理に否定されたりすべきではない。しかし、うまくいくとは一体どういうことなのか、それをあまりに簡単に決めつけてしまうのはどうだろうか。評者は、イランのゴムに住む友人に次のようなことを言われて笑い飛ばしたことがある。そして、それを言った本人も、評者の笑いに応じて恥ずかしそうに微笑んでいた。それは、「『確かに今の世の中では非ムスリムの方がはるかに栄えているが、結局のところ天国に行くのはムスリムなのだ』と言っている仲間がいる」という言葉であった。評者から見てもこれは、偏狭な宗教的アイデンティテイに逃げ込む単なる現実逃避に見える。しかし、評者には、彼との親しさに信頼して笑い飛ばす以上に、何か「お説教」をするだけの確信はなかった。恥ずかしがりながら、そしておそらくは自分のものであるこの考えを第三者に仮託しながらでなければ口に出すことができなかった彼のことをこの本を読む過程でしばしば思い出したのは、評者がついぞ持つことができないでいるある種の確信を、ルイスが確固として持っているからであろう。 (北海道大学大学院文学研究科 森本一夫)

戻る

 
 
 
逆説のユーラシア史―モンゴルからのまなざし』

杉山正明
日本経済新聞社、2002年

表紙
 最近、来年度採用の高校世界史の教科書をぱらぱらとめくっていたときに、「おぉっ」と思わず教科書を見開いてしまった。モンゴル帝国に関する記述が大幅に修正されていたのである。それは例えば、「モンゴル帝国は分裂」を改め「大ハンのもとにゆるやかな連合」という記述であったり、「モンゴル第一主義」という言葉が消えていたりなどである。それはまさに杉山氏が、「西欧中心史観」から脱却して「遊牧と遊牧民にむけられてきた誤解と偏見」を改めるために(さらには「ユーラシア史」、「遊牧民が動かす世界史」を再構築するために)、これまでの著書のなかで繰り返し繰り返し述べてきたことであり、評者はその結実を見た思いがしたのである。
 さて、本書(昨年に刊行された本であるが)は、学術書というよりもエッセイ集のような内容であるが、それでも「杉山ワールド」が十二分に堪能できる一冊である。とくに、バグダードを無血開城せしめたモンゴルと、イラクをはじめとしたイスラーム世界をひたすら力攻めするアメリカとを比較して、「アメリカよ成熟せよ」と言い放つあたりは氏の真骨頂であろうか。
 大河ドラマ「北条時宗」、イスタンブルでの青花との出会い、そして氏の歴史学の原点などなど、なかなか読ませる内容が並ぶが、とくに評者の興味を引いたのは、これまで氏が折りに触れて唱えてきた「マルコ・ポーロ不在説」について一節が割かれていたことであった。しかし、評者は正直まだ消化不良である。この先杉山氏はこの問題にどう関わっていくのであろうか。期待したい。(北海道大学大学院博士後期課程 長峯博之)

戻る

 
 
 
誤りから救うもの―中世イスラム知識人の自伝』

ガザーリー著/中村廣治郎訳注
筑摩書房、2003年(ちくま学芸文庫)

表紙
 中世イスラームの碩学ガザーリーが、晩年に自らの思想的遍歴を振り返って著した書物である。確実な知を求めて神学、哲学、イスマーイール派の三つの内容を吟味し、そのいずれからも満足を得ることができず、ついにスーフィーの道にいたるという展開が語られる。評者は単に人生の糧にしようと思ってこの本を読んだが、彼が啓示の自明性を語る辺りから、人生のガイドとしての彼にはついていけなくなった(ただしこのことは彼が行う啓示の自明性についての証明に彼個人に起因する欠陥があるということでは必ずしもない。彼にとっては盤石であった証明の手駒も、時が移ると有効性を持たなくなることがある)。しかし、誤魔化しを用いることなくねばり強く続けられる思索をフォローする喜びは大いに味わうことができた。また、この作品だけでなくガザーリーという人物を知る上でも有用な訳者による解説も、ガザーリー研究の大家によるものであり非常に価値が高い。なお、筆者には訳や注に対して専門的な批評をする能力はないし別の訳者によって発表されていた旧訳との比較を行う力もないが、本書の訳文がよくこなれた読みやすいものであることは確実なこととして述べることができる。(北海道大学大学院文学研究科 森本一夫)

戻る

 
 
 
モンゴルの歴史―遊牧民の誕生からモンゴル国まで』

宮脇淳子
刀水書店、2002年(刀水歴史全書 59)

 いまさらではあるが、昨年刊行された宮脇淳子氏の意欲作である。本書の内容についてはすでに新刊紹介(史学雑誌, 112/6, pp. 108-109)があるので、ここではそれと重複しない点と評者の私見を述べたい。

 本書は、「紀元前1000年に中央ユーラシア草原に遊牧騎馬民が誕生してから、20世紀末のモンゴル系民族の現状までを、通史として一冊におさめた構成」となっており、筆者が行った「遊牧文明の歴史」と題した講義をもととしている。「あとがき」の筆者の言葉によれば、「『遊牧民』や『遊牧』はそのまま文明ではないけれども、草原に発生した遊牧騎馬民の連合のしかたや軍隊のしくみは、紀元前の西のスキタイ、東の匈奴以来、モンゴル帝国をへて18世紀まで、時代も地域も民族も交代しながら、ほとんどそのままで継承された。これを『遊牧文明』と呼び、その歴史のながれを明らかにしようというのが、朝日カルチャーセンターでの連続講義の試みだった。遊牧騎馬民が地球上から姿を消そうとしている20世紀末に、かれらが世界史に果たした役割を少しでも明らかにしたかった」(pp. 270-271)のだという。

 筆者の見解は様々な論点に及ぶが、とくに全体を通して強く主張しているのは、近現代に生み出された「民族」という概念を単純に歴史の中に遡らせることへの批判であろう。匈奴、突厥、ウイグルなどに関して筆者は繰り返しそのような警鐘を鳴らし、とくにモンゴルについては、遊牧部族連合体であった「モンゴル」に現在の「民族」という概念はあてはまらないことを明言している。また、筆者の専門であるジューンガル史については、欧米の研究者たちが遊牧国家の体制を理解していなかったがために生じた誤解をばっさりと切り捨てる。こうして、筆者は近現代の概念や欧米の研究者の誤解といったフィルターをできるだけ取り除いて、「遊牧文明」の歴史をじかに捉えようとしているのである。

 ただし、いくつかの苦言を呈しておきたい。先ず、「モンゴル帝国」以後のすべてを、やや単純に「モンゴル帝国」に結び付けようとしている点が気になる。また、ウズベクやカザフといった「モンゴル帝国」から派生したと考えられる遊牧集団に対しては、「民族」という言葉が軽率に使用されているようにも感じられる。そうすると、上記のような筆者の姿勢とは裏腹に、「モンゴルの歴史」という表題では「モンゴル帝国」から「現在のモンゴル民族」までが直線的、連続的で同質のものであるという印象を与えかねないのではないかという危惧を覚えるのである。また、評者の専門に近づけていえば、ジョチ・ウルスの左右両翼体制と「白いオルド」「青いオルド」という呼び名の問題に関して、やや乱暴な議論が見られるのも気になるところであった。

 以上、筆者の姿勢がどこまで徹底し、その試みがどこまで成功しているのか、やや判断のつきかねない部分もあるが、全体に示唆に富むことは間違いのない一冊であろう。(北海道大学大学院文学研究科博士後期課程 長峯博之)

戻る

 
 
 
イスラーム建築の見かた―聖なる意匠の歴史』

深見奈緒子
東京堂出版、2003年

表紙
 広い地域に波及し、多様性を帯びているイスラーム建築について、その歴史と造形的特徴からわかりやすく解説した一冊である。宗教と建築との関連性について、建築文化という視点から対象とする建築のみならずその背景をも含めて捉え、また、広い地域に共通する建築の要素から地域性や歴史性を探っている。そして何よりもふんだんに取り込まれた数々の写真が大きな魅力であり、“百聞は一見にしかず”という言葉がふさわしい、多様な特徴を把握するための重要な資料となっている。(昭和女子大学国際文化研究所 鶴田佳子)

戻る

 
 
 
1) Ben Haian de Cordoba, Muqtabis II. Anales de los emires de Cordoba Alhaquem I (180-206H./796-822J.C.) y Abderraman II (206-232/822-847), Joaquin Vallve Bermejo ed., Madrid, 1999.

2) Ibn Hayyan, Cronica de los emires Alhakam I y Abdarrahman II entre los anos 796 y 847 [Almuqtabis II-1], Federico Corriente & Mahmud Ali Makki tr., Zaragoza, 2001.

 「『ムクタビス』の手写本なら,エジプトにあるらしいよ。そこに住み着いているレヴィ=プロヴァンサルの娘だか姪だかが持っているんだ。もう相当な歳だけどまだ未婚で,もし結婚してくれる男性が現れたら,手写本を譲ってもいいと言っているとか...」

 もう10年も前のことだ,マドリードの日本料理屋でスペイン人の大学院生からこんな話を聞いたのは。ほとんどスペイン語が話せなかった僕は,その院生と,彼の話を日本語で説明してくれる日本人留学生の顔とを見比べながら,目が点になっていた。あの失われた手写本がエジプトにある...!?「どうだい,エジプトで結婚してみるかい?」とビル・ゲイツにちょっと似た切れ者の彼が,にやにやしながら問いかけてくる。うーん,手写本は見てみたいけど,その女性,何歳なんだろう... ともかく,結婚云々は冗談にしても,エジプトに手写本があるということはスペインのアラブ研究者の間では口コミで広まっていて周知のことらしかった。

 アンダルス史にたずさわる者ならば,イブン・ハイヤーンと彼の年代記『ムクタビス』を知らない者はいないだろう。11世紀に著された後ウマイヤ朝研究の最重要史料だ。ただし,この年代記は一部散逸していて完全な形では伝わっていない(詳しくは『東洋学報』85:1(2003)に掲載の拙稿「アンダルスの失われた手写本」を参照)。中でも第2巻の前半部は,アンダルス研究の大家レヴィ=プロヴァンサルがフェスのカラウィーイーン・モスクから借り出したまま,その死後(1956年),行方不明になってしまっていた。彼自身はそれをアレクサンドリアから校訂・出版するつもりだったらしいのだが,結局,実現しないままになっていたのである。レヴィ=プロヴァンサルの業績には世話になりつつも,貴重な史料を独占したまま逝ってしまった彼には,僕は以前からいささかの憤りを感じていた。その失われた手写本が,エジプトにあるという。

 マドリードの日本料理屋から数年後,僕は留学先のラバトにいた。文化省で働く知人がいて,彼はアラビア語手写本に詳しく,何かと情報通だった。そこである時,マドリードで聞いた話のことを尋ねてみた。すると彼は言ったのだった。

 「それはレヴィ=プロヴァンサルの娘じゃなくて,ナビーラ・ハサンというアレクサンドリア大学の教員のことだろう。レヴィ=プロヴァンサルが,アレクサンドリア大学から『ムクタビス』の出版の準備をしていたことは知っているだろう? 彼女は,大学図書館で偶然,彼の旧蔵書にまぎれていた書類入れを見つけた。中をあけてみたら『ムクタビス第2巻』の手写本が入っていたというんだ。」

 やはり,手写本はエジプトにあるらしい。レヴィ=プロヴァンサルの娘云々は,この女性研究者の存在から派生した単なる噂話というところか。ところが,件のナビーラ・ハサンは手写本の公開をしぶっているという。それに対して,スペインの研究者からは公開要求も出ているとか。いずれにせよ,やはりエジプトに行けば失われた手写本が見られる,のかも知れない。

 ところが,マドリードだったのである。1995年に89歳で死去したスペインにおけるアラブ研究界の「ドン」,ガルシア・ゴメスの蔵書の中に手写本があったのだ。「発見」したのは彼の弟子バルベ・ベルメホで,蔵書整理中の1999年のことだったという。発見後ただちにバルベ・ベルメホは手写本のファクシミリ版を緊急出版した。さらに二年後,スペイン語訳も出版され,今は校訂版を待つばかりである。この両者が表題に挙げた二冊である。

 ファクシミリ版が出版されて数ヵ月後,僕はマドリードにいた。失われた手写本の消息を最初に教えてくれた彼は,CSIC(フランスのCNRSみたいなもの)の常勤研究員となって出世街道を進んでいた。CSIC近くのカフェテリーアで『ムクタビス第2巻』の話になった。彼の言うところでは,アレクサンドリアのナビーラ・ハサンが大学図書館から見つけたのは,実はオリジナルの写しに過ぎなかったらしい。ガルシア・ゴメスについては,「彼の力は絶大だったからね」と苦々しく言っただけで,あまり話してくれなかった。

 生前のガルシア・ゴメスは,優れたアラビストとして,ありとあらゆる称賛をほしいままにしてきた。マドリードのアラブ研究所長として国内のアラブ研究者を組織し,マドリード大学(コンプルテンセ大学)アラブ研究学科教授として多数の弟子を抱え,さらに1950〜60年代には外交官として中東にも赴任する,と八面六臂の活躍をしてきた人物である。その一方で,学界の権威としての彼の前では,とうてい自由闊達な議論はできなかった,という話も伝え聞いている。

 ファクシミリ版の序文によると,ガルシア・ゴメスは,『ムクタビス第2巻』の内容にかかわるような話を,愛弟子のバルベ・ベルメホの前では生前からほのめかしていたという。それなのに,バルベ・ベルメホの学生だった僕の知人は,すぐ近くに手写本があるとも知らず,どことなくオリエンタリズムのにおい漂う無責任な噂話に興じるしかなかったのだ。それでも彼はエジプトに手写本があるらしいということは,仲間内の口コミで知っていた。そして僕はといえば,極東の島国で,手写本はもう見つからないものと一人で思い込んでいたのだ。絶望的なまでの情報の落差。学問においては,論文や学会発表の形で情報を公にしながら議論を深めていくのがルールとされている。しかし,業界内部の非常にプライベートな口コミによる情報交換のなんと大事なことか。そして,今もマドリードで,グラナーダで,あるいはラバトやフェスでどんな話がささやかれているのかと思うと,生来,人付き合いの悪い僕は,焦燥感を通り越してあきらめに似た思いすら感じるのである。

 最後に,この手写本の今後について。スペイン王立歴史アカデミーに寄贈されたガルシア・ゴメスの蔵書の中にあったということで,この手写本は,とりあえずはアカデミーの図書館に入るらしい。ただ,ガルシア・ゴメスが手写本を入手した経緯に不明朗なものがある以上,このままで済むとも思われない。そもそも,フランス植民地支配下でなされたレヴィ=プロヴァンサルの手写本借り出しが問題とされ,フェスのカラウィーイーン図書館が何十年かぶりの返却請求をすることも考えられる。何かと「アンダルスの遺産」を自分たちのものとして意識するモロッコの人々のことを思うと,まだまだ『ムクタビス第2巻』手写本には目が離せそうにない。(日本学術振興会特別研究員/東洋文庫 佐藤健太郎)

(追記:最近,この手写本の部分的な校訂が出版された。前述の『東洋学報』所収の拙稿には間に合わなかったので,ここに書誌情報を記しておく。
J.Vallve Bermejo & F.Ruiz Girela ed.y tr., La Primera decada del reinado de al-Hakam I, segun el-Muqtabis II, 1 de Ben Hayyan de Cordoba (m.469 h./1076 J.C.), Madrid, 2003.)

戻る

 
 
 
日本のムスリム社会』

桜井啓子
筑摩書房、2003年(ちくま新書420)

表紙
 評者は1990年代のはじめの頃に不法就労のイラン人のおじさん、お兄さん方からペルシア語を習い、たまには未払いの給料を求める闘争の手伝いもし、そうしたことを通じてそれなりに「日本のムスリム社会(の一部)」とつきあいをもってきた。しかし、「日本のムスリム社会」についての理解はといえば、逆にそうした生活経験からのものしか持ち合わせていなかった。その点この本は、桜井氏が脚で稼いだ情報と統計などの客観的な数字の両方がバランス良く使われていて、「日本」の中にどのように「ムスリム社会」が存在しているのかを多面的に理解することができる。
 「日本のムスリム社会」を知ることは「ムスリム社会」を知ることであるだけでなく、「日本」の社会を知ることでもある。「ムスリム社会」を身近に感じることはまだまだできないという人も、「日本」を知るために一読されてはいかがだろうか。(北海道大学大学院文学研究科 森本一夫)

戻る

 
 
 
現代イスラムの潮流』

宮田律
集英社新書、2001年

表紙
 「いま、イスラム抜きには世界は語れない!」という帯で飾られた、まさしく現代イスラム入門書とでもいうべき書物である。イスラム教、パレスティナ問題、イスラムとの共生という、実質三本の柱で構成されており、簡潔な説明で、わずか200ページでありながら、トピックも多く、楽しめる。(大阪外国語大学アラビア語専攻2年 峠潤)

戻る

 
 
 
中東紛争―その百年の相克』

鏡武
有斐閣選書、2001年

表紙
 中東紛争を、胎動期(1900年前後のユダヤ人の帰還に始まる期間)、萌芽期(第一次世界大戦の戦後処理に始まる期間)、戦争期(第一次〜第四次中東紛争の終始期間)、和平への模索期(エジプトの単独和平とキャンプデーヴィッド合意に始まる期間)と的確に分け、論を進めている。
 また、各国の戦略秘話的な内容も盛り込まれており、非常に読み易く、中東紛争の流れをつかむには、本当に適している。(大阪外国語大学アラビア語専攻2年 峠潤)

戻る

 
 


E-mail: bunkentanpyo@hotmail.co.jp