以下に記すこの短評は、およそ批評と呼べるようなものではないかもしれない。というのも、評者にとって本書との出会いはひとつの「衝撃」であり、その衝撃の強さを語るにとどまったのではないかと思うからである。評者自身はエジプト近代史専攻で、インド近代史研究とは直接の関わりは無いが、中東史研究という範囲で考えても、本書を紹介する意味は大きいと思われるので、「批判精神が無い」という非難を覚悟の上で、この短評を行っていきたい。(サバルタン研究に対する詳細な批判を知り
たいという方は、本書の「訳者あとがき」や最後にあげてある粟屋氏による論文などをご参照ください)
本書は、インド近代史研究の一潮流であり、1982 年に第一巻( Subaltern Studies:Writings on South Asian History and Society,New Delhi ) を上梓して以来、今日まで 10 巻に及ぶ論集を編集・出版し、最近ではインド近代史の枠組みを超えた広範な影響を与えているサバルタン研究グループによる論考の初の邦訳である。彼らについては、80 年代の後半からすでに日本に紹介されているが、それらによればサバルタン研究はその研究上の志向性から大きく前期と後期に分かれるとされており、本書はその傾向から前期サバルタン研究に属するとされる、1〜4 巻に所収された論文の中から選ばれた 5 つの論文によって構成されている。
まず、サバルタン研究自体の説明から始めると、グループ名ともなっている「サバルタン」とは、従属諸階級を示す用語で、前期サバルタン研究において中心的な役割を担った R.Guha の定義によれば、「階級・カースト・年齢・性別・職業、あるいはその他どのような言葉で表現されるにせよ、民衆が従属している状況を指す一般的な言葉」であるという。彼らは、この「サバルタン」概念を鍵として、これまでインド近代史研究において行われてきた歴史叙述を「エリート主義的」として批判し、声なき「サバルタン」たちの声を聞き取ろうと提唱する。そして、(多くがエリートによって記されたものである)歴史資料に内在する、エリートが一方的に民衆を「語る」という構造を指摘(この点で彼らには E.W.Said のオリエンタリズム批判と共通する問題意識がある)し、しかしサバルタン自身による資料がほとんどないという制約の中で、そうした権力性を帯びた資料を扱わざるをえないサバルタン研究の困難さを認識することを研究の出発点としている。
しかし、こうしたサバルタン研究の姿勢は、これまで歴史叙述の周縁に追いやられ、客体としてのみ描かれてきたサバルタン(民衆)を叙述の中心に置くことで、これまで中心を占めてきたエリートやその支配といったものを周縁や客体に貶めようとするものではない。彼らはそうした従来の歴史叙述における構造自体を批判しているのであり、むしろ両者のあいだの関係性を重視しつつ、叙述を行おうとしている。つまり、エリートや権力の側から民衆に対するモノローグとして歴史を描くのではなく、両者の「対話」(もちろん両者の間にある「支配」‐「従属」という関係をふまえつつ)として歴史を描こうというのが、彼らの(少なくとも本書における)基本姿勢である。
そして、こうした前期サバルタン研究の傾向を考えるとき、本書の構成は前期サバルタン研究の傾向を理解する上でも非常にバランスの取れたものといえよう。順を追って簡単に紹介すると以下のとおりである。
まず、サバルタン研究が拠って立つ立場を明確に表明した R.Guha による第一論文「植民地インドについての歴史記述」。また、先に述べた資料(テクスト)上の問題点を扱い、そこに内在するインド民衆に対する植民地政府のエリートや「エリート主義的」歴史観に立つ歴史家の諸言説を検討し、テクストの権力性を明らかにすることによって、サバルタン研究の方法論的基礎を示した、同じく R.Guha による第二論文「反乱鎮圧の文章」。
続いて、20 世紀初頭のインドの一地方における農民反乱を例にとり、当時の民衆運動の自律的性格を明らかにすると共に、インド民族主義運動において「指導的立場」にあった国民会議派とそのイデオロギーであるガンディー主義が内包していた、自律的な民衆運動を抑圧しようとする側面を指摘した、G.Pandeyによる実証研究である第三論文「インド・ナショナリズムと農民反乱―アワド農民運動、1919‐1922 年」。
さらに、第三論文でも考察されたイデオロギーとしてのガンディーの思想を別の視点から取り上げた、P.Chatterjee による第四論文「ガンディーと市民社会批判」がある。Chatterjee は、市民社会「包括的に」批判したガンディー主義を批判的に再検討し、それがインド民族主義運動においていかに支配的なイデオロギーとなりえたのかを考察している。この Pandey と Chatterjee の二つの論文を通して読めば、時として「民衆」史研究に向けられる、「エリートの役割を軽視している」という批判(実際、サバルタン研究にも向けられているようだが)が必ずしも当たらないことが分かるだろう。
本書の最後を飾るのは、「E.W.Said と並び称されるポスト・コロニアリズムの批評家」とされる G.C.Spivak が行ったサバルタン研究に対する批判的論考である第五論文「サバルタン研究―歴史記述を脱構築する」。これは、その後のサバルタン研究の方向性に決定的な影響を与えたとされる論文である。難解な点も多いが、いわゆる「現代思想」に関心のある方にもおすすめである。
本書に収録された論文だけでは、安易な批判はできないし、そもそも評者にとっては共感する点があまりに多く、それを伝えたいがために短評を書いたともいえる。ただ、確認しておかなければならないのは、実は評者が前でサバルタン研究グループの特徴として指摘したものと類似の研究姿勢は、評者の専攻であるエジプト近代史に限っても(知りえた限り、数は多くないが)存在しており、その点では彼らのみがこうした「革新的な」歴史叙述を展開しているわけではない。そもそも、近代ヨーロッパ史における革命や民衆運動に関する諸研究から彼らが影響を受けたことは明らかであるし、日本近代史研究におけるいわゆる民衆史研究にもサバルタン研究と共鳴する志向性があったことも事実である。
しかし、近代においてイギリスをはじめとするヨーロッパ諸列強によって植民地化された歴史を持つ中東地域を研究対象とするひとびとにとって、同様の歴史を持つインドという地から(サバルタン研究に参画している研究者すべてが、いわゆる「現地」の研究者というわけではないが)彼らサバルタン研究が投げかけた問いかけは、非常に大きな意味を持つように思われるのである。
最後に、インド近代史を専攻されている方や、彼らの問題関心にすこしでも共感を持った方からの本書、あるいはサバルタン研究全体に対する新たな批判的見解を聞いてみたいという「身勝手な」希望を述べて、この短評を終えることにしたい。 (勝沼聡 慶應義塾大学大学院修士課程)
【参考文献】
・(本書もそれに属するが)前期サバルタン研究について
粟屋利江「インド近代史研究にみられる新潮流―「サバルタン研究グループ」をめぐって―」『史学雑誌』97/11(1988年)81-99頁。
・後期(あるいは現在の)サバルタン研究について
チャクラバルティ,ディペシュ(臼田雅之訳)「急進的歴史と啓蒙的合理主義―最近のサバルタン研究批判をめぐって―」『思想』859(1996 年 1 月)82-107 頁。