ニューヨークの連続テロ事件でサウジアラビア出身のオサマ・ビン・ラーディンが容疑者として特定された。彼はかねてから米国へのジハード(聖戦)を訴え、軍民問わず米国人の殺害はムスリムの義務だと宣言した。イスラムでは、ジハードはムスリムすべての義務であり、ジハードで殉教者になれば天国(ジャンナ)に行けるとしている。多くの若者がエデンの園を入るために自らの命を投げ出している。しかし、ジハードは武力の行使だけではなく、それぞれが能力に応じて行えばいいと解釈されている。他方、イスラムは無辜の民を殺害することを許していないので、イスラム原理主義者による無差別テロ行為はイスラムの教えに抵触する。にもかかわらず、反イスラム的な今回のテロ事件を機にアメリカ社会で「イスラム=テロ」というイメージが形成されてしまう懸念がある。

 実際、事件後アメリカ在住のムスリムに対するハラスメントがアメリカ各地で起こっていると報道されている。さらに、犯人グループがアラブ系ムスリムであることが判明したために、アラブ系ムスリムは、今よりもいっそうひどい負のイメージを背負わされることになるかもしれない。そのように考えると、アメリカに住むムスリム市民たちがその出身地を問わず近い将来こうむるであろう苦難は計り知れないものがある。

 現在、アメリカには六百万人とも言われるムスリムが居住している。宗教・宗派別の公式統計が存在しないので正確ではないかもしれないが、ムスリムのうち、中東出身のアラブ人はムスリム全体の四分の一ほどの約一五〇万人である。ほぼ同じ人口数だが目下急増しているのが、今回のテロ事件でアメリカの報復の対象とされているアフガニスタンを含む、パキスタン、バングラデシュ、インドなどの南アジア出身者である。同様にアフリカ系アメリカ人、つまり改宗した黒人ムスリムも約二五%を占める。また、ムスリムの約一割がトルコやイランなどの非アラブ系中東出身者である。ところが、中東および南アジアの出身のムスリムが今回の事件を契機にアメリカの一般市民から暴行や脅迫を受けるなどの被害にあうだけではなく、犯人逮捕に躍起になっていたFBIなどの公安当局から通常では考えられない尋問や取調べを受けていると報じられている。その意味で今回のテロはブッシュ大統領が言うように「戦争」であり、市民の生活も戦時の戒厳下であるのかもしれない。

 多くのムスリムは米市民として暮らしている。この事件で特筆すべき点は、多民族・多文化の米社会に住むムスリムの中から、数千人におよぶ一般市民を巻き添えにした卑劣なテロ犯罪者が生まれた事実である。そのため、ごく普通のムスリム市民までも潜在的テロリストの疑いがかけられることになる。米国はテロから民主主義を守るためにかつての日系市民のように国内の少数派の人権を侵害するという代償を払わねばならないのだろうか。