イスラムを広める熱意は、異教徒に強制的改宗を迫る聖戦(ジハード)として、しばしば実行された。

これは高等学校の倫理の教科書(『新倫理』清水書院、平成13年、46ページ)に記されている一文である。イスラームについての誤解のうちでもっとも一般的なものが、イスラームを「剣の宗教」とみなすものであり、その要因としてジハードが挙げられることはよく知られている。しかし、高等学校の教科書にこのような記述があることは、日本人のイスラーム観を如実に示しているとことになるのかも知れない。もしもこの記述が試験問題として使われたとしたら、正解ではないことは言うまでもない。しかし、教科書の記述は、多くの場合、学生にも教師にも、正しい内容として記憶の底に埋め込まれる。とくにアメリカで起こった同時多発テロに関して、「ジハード」という言葉が一人歩きする昨今においては、この言葉は、否応もなくイスラームの全体像を歪曲する悪意に満ちたキータームとなってしまうであろう。

イスラームが異教徒に対して武力をもって改宗を迫ったという歴史的事実は、ほとんどみられない。7世紀後半には、改宗者があまりにも多くなりすぎて人頭税の収入が落ち込み、国家財政を危うくしたために、為政者は改宗を勧めないようにと命じたことさえある。まして、異教徒の改宗を強制することがジハードの意味では、決してない。預言者ムハンマドはメッカを征服したあとで、「これからは大ジハードに精進するように」という言葉を残しているが、これは精神的な修養を意味している。周知のようにジハードはムスリム一人一人の義務ではあるが、戦闘行為を指すよりも、本来の「努力」という意味から、日常的に神の道に邁進するための努力を指すことのほうがはるかに多い。また戦闘的な意味で用いられる際にも、第一に防衛的な戦闘を指している。

しかしジハードは、実はイスラーム史上、一度も正式なかたちで実施されたことはない。為政者や特定のグループの指導者たちが、戦略的な効果を狙ってジハードを標榜することが多々みられるが、イスラーム世界が一致して義務としてのジハードに参加したことは、いまだ、ない。ジハードが成立するためにはさまざまな条件が規定されていて、簡単には起こすことができないような厳しい制限が設けられているからである。

イギリスの宗教学者カレン・アームストロングは、11世紀に起こった十字軍運動こそが、イスラームに戦闘的なジハードの意識を呼び覚ましたと語っているが、西洋からの十字軍に対抗して起こされたイスラーム側の指導者によるジハードの呼びかけでさえも、ほとんど不成功に終わっている。戦闘的ジハードとは、それほど成立が難しいものである。今日のイスラーム主義テロ集団がいかに叫んでも、戦闘的ジハードは、簡単に成立させることのできない、極めて厳格な規制をもつ義務なのである。

イスラームに関して、教科書にまで間違った記述がなされる「常識」を、変えていく努力がいまこそ要請される時はないかもしれない。その努力が、やがては正しい異文化理解への道となり、多文化・多宗教間の対話と平和的共存を目指す道へとつながると、信じてやまない。それこそが今の世界に求められている努力(ジハード)であると思われる。