――いまメディアでは実行犯らを「イスラーム原理主義者」と読んでいますが、 イスラームの観点からはオサマ・ビンラディンや彼の率いる「アルカイダ」の組織や行動原理をどう捉えればいいのでしょうか?

 「独善的・保守的・排他的」という欧米製イメージを押しつけられてきたイスラームは、実は現状批判・自己告発の宗教です。 堕落と迷妄に踏み迷う状態への反省がつよいのです。 そこで「ヒダーヤ(神の導き)」を乞いねがい、退廃からの脱出を求める。 そもそも預言者ムハンマドが西暦七世紀に起こした運動は、「アブラハムの宗教に立ち返れ」 というスローガンを掲げる宗教改革運動だったのです。

 現在のイスラーム世界においても、原点を見失った堕落状態をいかに脱却してイスラームの再活性化ができるかという問題意識が、 ひろく大衆に受け容れられている。 宗教や文化の異なる多様な人々が共生する「都市」的空間、そして神の前での宇宙万物の対等・公正が保障される調和と平和の関係性、 これらを生き抜くこと、それを理想とする多元主義的普遍主義(人類主義)こそ、イスラームの原点だと言われます。 「イスラーム原理主義」はキリスト教の用語法に基づく外部からの勝手なイメージ作りで、不適切な呼び方ですが、 イスラーム教徒の側では、本来の精神を回復しイスラームの現状を変革しようとするイスラーム復興運動が主流となっているのです。 いわゆる「過激派」・テロ分子には色々な傾向をもつ色々な組織があるが、オサマ・ビン・ラディンについて言えば、 米国政府によく素性の知れた人物です。 八〇年代のアフガニスタンを舞台にソ連軍と戦った「ムジャヒディーン(イスラーム戦士)」に参加しました。 武器・資金・情報を与え訓練を施して彼らを育成したのは、米国でした。

 しかし米国にも捕捉できない様々なグループが増殖し、連携を深めつつあると見られます。 もちろん、九・一一以降もです。ビン・ラディンが主要容疑者とされていますが、米国はその証拠を明かしません。


――何が彼らを急進的な運動に駆り立てたのですか?

マスコミが言う「イスラーム過激派」とは、実はイスラームを敵視する欧米のオリエンタリズムと同根で、 「欧米対イスラーム」という二項対立論に感化され同化して、欧米という敵との対決に賭ける、 その意味でイスラーム本来の多元主義的普遍主義の立場から逸脱した人々だと言わなければならない。

 そもそも二項対立的発想はイスラームの立場と矛盾します。 イスラームは多様性・異質性を尊重し、存在や関係の諸局面それぞれの個別性・差異性を重視するからです。 東・西対立の「二つの世界」論は、十字軍以来、 ヨーロッパ対イスラームという構図をあたためてきたヨーロッパがその自意識を成り立たせてきた土台だったと言えます。 今日、国家や市民社会のあり方が変貌する中で、民主的自由や人権の擁護という原則を掲げた軍事行動がしばしば起きるが、 正義と自由のための戦場で、一般市民が不条理な死や離散に直面する事態が頻発しています。 世界貿易センタービルの破壊もそういう事態でした。市民的抵抗の破裂の新奇な姿と並んで、 普通の国の異常国家化現象が起きています。 米国が繰り返し企てたカストロ暗殺計画ともあい通じるが、八六年四月には、米軍はカダフィ殺害に的を絞ったリビア爆撃を実行。 八九年一二月、米軍のパナマ侵攻では、ノリエガ逮捕作戦の巻き添えで市民に多数の死傷者が出た。 湾岸戦争とともに、それ以降の世界では、このようなことが常態化したのです。 イスラエル占領下のパレスチナ人住民は個人情報がデータベース化され、身元も行動様式も把握されている。 リーダーは走行中の車をミサイルで狙い撃ちされ、次々と暗殺されている。「」が特定的に指名されるが、 どんなに崇高な目的に捧げられた名誉ある国家でも、指導者が選択を誤れば、 いつ何時「ならず者」に転落するか分からない剣が峰を渡っているのです。

 九・一一のテロリストたちの攻撃は独創的なものとは言えない。 イスラエルのパレスチナ人対策の所作と狙いを学習した上、それに加えて、 推理小説やハリウッド映画のバーチャル・リアリティの世界で使い古されたイメージを再現したのでした。


――自爆テロというのはイスラームの論理からどのように正当化されるのでしょうか?

クルアーンでは、理由なく人を殺すのも、生命を粗末にするのも、禁じられている。 ただし安全保障システム拡張の努力、抑圧に対する抵抗などは、「神の道に立つ闘い」と認められ、 ジハード(努力)途上で斃れた人にはシャヒード(殉教者)として神の祝福が約束される。 それにしても自爆テロは、イスラームの論理には結びつきません。 しかも自分の信念のために他人を犠牲にするのは、「宗教に強制があってはならない」というイスラームの大原則に反し、 トゥグヤーン(専断・傲慢)の大罪に当たるとも見られるでしょう。 自爆という戦い方はパレスチナ人の闘争において現れました。 八七年からの第一次インティファーダでは、軍事占領に歯向かう子ども達がイスラエル兵に石を投げて撃ち殺され、 女達が街頭に出て抗議する運動は、世界の同情を集め、パレスチナ人の国家建設を認めよという国際世論を高めた。 これに便乗したイラクのサダム・フセイン政権はクウェートに侵攻、 国際的な撤退要求に対してはイスラエルの占領地撤退との抱き合わせを主張し、イスラエルをミサイル攻撃。 湾岸戦争でパレスチナ人はイラクの仲間とされ、戦争前の国際的了解はご破算にされた。 九三年のオスロ合意でイスラエルとパレスチナ人とは紛争の両当事者とされ、 占領終結の課題は双方の互譲という話に置き換わったものの、極端に非対称の力関係のもとでイスラエルの入植地拡大が進む。 パレスチナ人の抵抗は「テロ」と扱われ、パレスチナ暫定自治当局の管理責任が追及される一方、 イスラエル軍の「報復」が繰り返される。 問題は泥沼化し、第二次インティファーダが起こるが、イスラエルのシャロン政権がパレスチナ人を強圧・封鎖し、 暫定自治を解体させるのに対して、イスラーム諸国を含む国際社会はまったく手が出せず、 ブッシュ政権は単独行動主義を顕わにして黙認・放置した。 エルサレムにおけるパレスチナ人の存在の象徴だったオリエントハウスを急襲したイスラエル軍は、そこにイスラエル国旗を掲揚する。

 この間、世界から見捨てられたと感じたパレスチナ人の絶望は深く、自爆行動はそこから頻発するようになったのです。 自爆という方法しかないと感じるまで追いつめられたパレスチナ人たちの闘いが、 今回の事件の実行犯の行動様式に影響を与えたという関連を否定するのはむずかしいでしょう。 テロ分子を包囲しテロを根絶するには、世界の虐げられた人々の問題を解決しなければならないのです。

 日本人が自爆行為を奇怪と見るのは不思議です。 イスラーム世界を含め世界の誰もがまず連想するのは、日本のカミカゼ特攻隊でしょう。 すぐ「イスラームの論理」に回答を求めるのは、自分自身の認識ができない日本社会のうわついた孤立状況を示すものです。