日本中東学会
Japan Association for Middle East Studies
ニューズレター第87号
No.87
11/30 2001
目 次
- 第18回年次大会のお知らせ
- 第3回理事会報告
- 第5回公開講演会開催のお知らせ
- インターネットによる学会情報の発信
- 「米国同時多発テロ事件」について
- イスラーム地域研究東京国際会議の報告
- 韓国中東学会・第10回国際シンポジウムの報告
- 北米中東学会(第35回)参加記
- 中東学会世界大会参加のよびかけ
日本中東学会第18回年次大会のお知らせ
第18回年次大会は2002年5月11日(土)、12日(日)の2日間、東京大学(大会実行委員長佐藤次高)において開催されます。 11月16日に第2回実行委員会を開催し、大会プログラムの概要が下記のように決定されました。 パネル・ディスカッションは、「日本のムスリム社会」と題し、日本在住のムスリムの方にも参加していただき、議論するという試みです。 研究発表は、10月末日までに44件の応募を国内外からいただき、これにもとづいて部会プログラムを編成することになります。 大会プログラムは、明年3月に大会実行委員会から会員に直接送付されるほか、ホームページにも掲載する予定です。開催日時:2002年5月11日(土)、12日(日)
開催場所:東京大学 本郷キャンパス
- 実行委員会:
- 委員長:佐藤次高(東京大学)
- 委員:小松久男、蔀勇造、鈴木董、竹下政孝、内藤陽介、長沢栄治、桝屋友子、柳橋博之、山内昌之(以上、東京大学)、加藤博(一橋大学)、三浦徹(お茶の水女子大学)
【予定プログラム】
- 2002年5月11日(土) 東京大学 本郷キャンパス 山上会館
- * パネル・ディスカッション「日本のムスリム社会」(仮題)
- * 総会
- * 懇親会
- 2002年5月12日(日) 東京大学 本郷キャンパス
- * 研究発表(全5部会、各部会8~9の研究発表を予定)
- 【連絡先】
- 日本中東学会第18回年次大会実行委員会事務局
- 〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
- 東京大学文学部東洋史(佐藤)研究室
- Tel: 03-5841-3783
- Fax: 03-5841-8957(中東学会大会実行委員会宛を明記して下さい)
- e-mail: shams@l.u-tokyo.ac.jp(ccで y-naito@xk9.so-net.ne.jp にも送信して下さい)
2001年度第3回理事会報告
- 2001年10月7日(日)午前7時~9時にかずさアークにおいて、第3回理事会を開催し、以下の議題が討議された。
- 出席:加藤、臼杵、大塚、小松、長沢、羽田、岡野内、三浦各理事
- 欠席:永田、小杉、私市各理事
- 1.経過報告
- ◆ 8月初旬に学会ホームページとメーリングリストを開設。ホームページは後藤敦子会員(東洋文庫ユネスコ東アジア文化研究センター)の協力をえて運営している。
- ◆ 米国テロ事件HP投稿欄:会員の積極的な投稿により、日本の中東研究の存在を示すために設置。
- ◆ 中東学会世界大会(WOCMES)大会パネル参加(Sufi Saints and Non-Sufi Saints、責任者東長靖会員)とブース設置を申し込み、受理されている。派遣旅費等の調達のために、国際交流基金の日欧国際会議助成に申請する。
- ◆ 会計報告。会費納入状況:01年度(未納80名弱)、02年度(既納300名強、10月5日現在)。
- 2.アジア中東学会連合(AFMA) 関係
- ◆ 韓国中東学会および中国中東学会とは、隣人として、引き続き友好的な関係を維持する。
- ◆ 韓国中東学会(10月26日~28日)に臼杵理事が参加する(その後、臼杵理事が出席できなくなり、長沢理事が参加。12ページの参加報告を参照)。
- ◆ 中国中東学会は会長が交替し、春までに、AFMA第3回大会を開催する予定。(補足:11月13日にイスラーム地域研究のシンポジウムのために来日した韓国中東学会Hah事務局長、中国中東学会楊事務局長と日本側理事(加藤、羽田、長沢、三浦)が会談。中国側では、来年4─6月の開催をめざし、助成を申請している)。
- 3.公開講演会について
- 12月8日(土)に第5回公開講演会を名古屋で開催する(3ページ参照)。02年度も、科学研究費補助金研究成果公開促進費を申請する。
- 4.日本中東学会年報(AJAMES)について
- ◆ AJAMES第17号は、論文・史料紹介・研究動向計15本(うち6本が外国語論文)の投稿があり、審査中。
- ◆ 外国人編集委員(アドバイザー)としてD. Eickelmann(米、Dartmath University)、R.S.Humphreys(米、University of California at Santa Barbara)、A.-K.Rafeq(米、College of William and Mary)を委嘱(02年度から任期2年)。今後、中東諸国や東アジアなどの委員も委嘱する)
- ◆ AJAMESをより機動的な雑誌とするため、装丁を改め、年2冊の編集・刊行とすることが提案され、装丁や費用見積りなどを含め、具体案の検討に入ることとした。また、編集委員の任務や選出方法、レフェリー制度について、現在は編集委員会内規によって運営しているが、内外に対してより明確な形にできるように、理事会で規定を見直す。以上について、次回理事会で討議し、02年度から、新しい規定による編集・刊行体制をとれるようにする。
- ◆ 引き続き、科学研究費補助金研究成果公開促進費(学術定期刊行物)を申請する。
- 【連絡先】
- 日本中東学会第18回年次大会実行委員会事務局
- 〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
- 東京大学文学部東洋史(佐藤)研究室
- Tel: 03-5841-3783
- Fax: 03-5841-8957(中東学会大会実行委員会宛を明記して下さい)
- e-mail: shams@l.u-tokyo.ac.jp(ccで y-naito@xk9.so-net.ne.jp にも送信して下さい)
第5回日本中東学会公開講演会
日本中東学会は平成13年度文部科学省科学研究費補助金研究成果公開促進費 「研究成果公開発表(B)」による補助、およびイスラーム地域研究プロジェクト (文部科学省科学研究費学術創成研究、研究代表者佐藤次高)の後援をうけて、第5回公開講演会を下記の形で開催いたします。 参加自由(無料)ですので、特に中京地区の会員の方々には、学生や知人などに呼びかけ、幅広い参加をお願いいたします。
21世紀のイスラームとイスラーム世界 -日本とイスラーム世界とのかかわり-
- 趣旨:
- 21世紀の世界を考えるうえで、イスラーム世界の理解は重要な鍵となっている。グローバル化の進行とともに、イスラーム世界のなかで暮らす日本人や日本で生活するムスリムが増加し、日本人とムスリムとの直接の接触がふえている。広大な歴史と文明をもつイスラーム世界とどのようにつきあっていくか、これは、21世紀の日本とその社会が直面するもっとも大きな文明的な課題といえる。本講演会では、日本におけるイスラームの理解や接触をふりかえりながら、日本とイスラーム世界のつきあい方を考えていきたい。
- 講演者:
- 佐藤 次高(東京大学大学院人文社会系研究科)
- 「日本人のイスラーム理解」
- 小林 寧子(南山大学外国語学部)
- 「東南アジアのムスリムと日本人」
- 山岸 智子(明治大学政治経済学部)
- 「帰国イラン人の語る日本」
- 日時:
- 2001年12月8日(土)13時30分~17時(13時開場、参加自由・無料)
- 場所:
- 名古屋市 名古屋国際会議場1号館141-142室
- 〒456-0036 名古屋市熱田区熱田西町1-1
- (地下鉄名城線日比野または西高蔵下車徒歩5分)
- Tel: 052-683-7711
- 名古屋国際会議場ウェブサイト: http://www.u-net.city.nagoya.jp/ncc/
インターネットによる学会情報の発信
◆ ニューズレター第86号でお知らせしたように、日本中東学会のホームページを、 国立情報学研究所学協会情報発信サービス(通称学会村)に開設いたしました。
URLアドレスは以下のとおりです。
https://www.james1985.org/index.html
研究会や催し物案内、中東学会会則、入会案内、AJAMES概要(投稿規定、バックナンバー目次)、 会員新規業績(東洋文庫ユネスコ東アジア文化研究センターとの提携)、リンク集などが掲載されております。 研究会の案内や参加報告など、掲載を希望するニュースがありましたら、学会事務局宛にお送り下さい。 電子メールの場合、添付書類やテキストの貼り付けでお送り下さると編集作業が容易です。 また事項についてのご希望やご提案がありましたら、お寄せください。◆ 日本中東学会のメーリングリストを作成しました。 学会会員の方で電子メールアドレスを登録された方に、学会関係のニュースや事務連絡を、 このメーリングリストを用いて配信しています(11月15日までに17通を配信)。 これまで配信を受けていないかたは、電子メールアドレスの未登録またはアドレスのエラーと思われますので、 ご利用の電子メールのアドレスを学会事務局までご連絡ください。 なお配信を希望されない方、アドレスの変更がある方もお申し出ください。
◆ このメーリングリストは、学会事務局のあるお茶の水大学情報処理センターの協力により、そのサーバーから発信されています。 現在の学会事務局ではメーリングリストによるウィルス感染などの事故に対して十分な管理体制を取ることができませんので、 当面はメーリングリストへの直接の投函は控えていただくようお願いいたします。 発信を希望する情報がありましたら、学会事務局宛にお送りください。
◆ 今年度から、会員名簿にも電子メール登録者(現在276名)のアドレスを掲載いたしましたが、 登録頂いた方でも、学会名簿へのアドレス掲載を望まない方(非公開)は、その旨をお知らせください。
「米国同時多発テロ事件」について
9月11日の米国における「同時多発テロ事件」の発生とその後の事態の進展から、学会理事会では、下記の会長の所信に述べるように、 学会内外での情報の提供と意見の自由な交換が行えるように、本学会ホームページに会員の投稿欄を設けることを決定し、 10月3日より投稿掲載を開始いたしました。これまでに、大磯正美、中村覚、板垣雄三、臼杵陽、塩尻和子会員の投稿が掲載されています。 投稿規定にそって、会員の活発な投稿をお待ちしています。【会長の所信】
日本中東学会会員各位【「米国同時多発テロ事件」に関する投稿規定】
会長 加藤 博(一橋大学)
9月11日、アメリカ合衆国において多くの市民の生命を奪った悲劇は、その繰り返し放映される映像とともに、 われわれに計り知れない衝撃を与えました。その悲惨さは、言葉では言い尽くせず、被害に遭われた方々への深い哀悼の気持ちと、 かかる行為への怒りを世界の多くの人々と共有するものです。と同時に、この事件は、われわれ中東を研究する者にとって、一つの知的挑戦であると思います。 この事件の真相は究明中でありますが、ここにいたる経緯と背景には、複雑な世界の政治経済事情とともに、 中東やイスラーム世界との対話やそれらの地域に対する無関心と理解の不足があったと考えるからです。 そして、この事件は、このわれわれの知的な怠慢を反省させるどころか、それを増幅させるおそれさえあるように思えます。
実際、その傾向はすでに現れています。 事件についてのその後の報道のなかで、しばしばイスラーム世界、中東、アラブ世界などの「地域」が区別されないままに使われ、 論評されているからです。 この悲劇を特定の地域、国家、民族、集団と短絡的に結びつけたり、さらには、 それを理由に、こうした特定の地域や集団を差別視したりすることは、決してなされてはなりません。
われわれ中東を研究する者は、この地域に多くの宗教、民族、言語、価値観を異にする人々が暮らし、 その結果として、これまでに実に多様で豊穣な文化が育まれてきたし、今も育まれつづけていることを知っています。 知的な怠慢は無関心を引き起こします。 われわれは、日本人が中東和平など、今日の中東における重大かつ緊急を要する動向に、 この事件をきっかけとして、関心をもたなくなることを強く恐れます。
日本は、幸いなことに、これまで、中東との間に強い軋轢や憎しみを生みだす不幸な歴史をもっていません。 このことは、日本の中東研究者に「日本の」中東研究の可能性を示唆します。 わたくしは、今回の悲劇を機会に、このわれわれの立場を強く自覚し、多角的な中東研究をさらに一層促すとともに、 多様な情報と意見に注意深く耳を傾けたいと思います。
以上の考えから、日本中東学会では、緊急に理事会に諮り、本学会のホームページに、本事件に関する会員からの投稿欄を設け、 会員がこれまでの研究や活動にもとづき、情報の提供と意見の交換を自由に行えるようにいたしました。 また、公開のホームページでこれを行うことで、会員以外の方々へ広く情報を提供し、学会としての社会的責務の一端を果たしたいと考えます。
2001年10月3日
◆ 投稿資格は、日本中東学会会員に限り、また、内容は研究団体としての本学会の性格に沿ったものであること。
◆ 投稿は、会員個人の資格でおこない、その内容については、個人が責任をもつこと。 いかなる場合でも、掲載された投稿は、日本中東学会の意見を代表するものではない。
◆ 投稿には「表題」を付し、投稿者の姓名を明記し、必要に応じて所属先、専攻分野、当人の電子メールアドレスなどを記す。
◆ 投稿分量は、1回について2000字程度とし(日本語の場合)、関連する他のホームページアドレスなどを指示することも可。 使用言語は、技術上の理由から、日本語または英語を原則とする。
◆ 掲載期間は、当面、2002年3月までを予定。
◆ 原稿は、学会事務局宛に、電子メールまたは郵送で、Wordファイルあるいはテキストファイルをお送りください。 日英以外の言語による投稿を特に希望する場合には、ホームページにPDFファイルとして掲載できる形でお送りください。 なお、掲載までには数日を要すること、誤字や文章表現の明らかな誤りについては、事務局で訂正することをご了承ください。
「イスラーム地域研究」東京国際会議の報告
上記の国際会議について、実行委員長の小松久男会員、宮治一雄、J・フィリップス両会員、 およびB・アンダヤ教授(ハワイ大学、東南アジア史)からレポートを寄稿していただきました。 なお、大会のプログラム、報告などについては、 イスラーム地域研究のホームページ をご覧下さい。
◆ イスラーム地域研究の新地平-ムスリム社会の動態-実行委員長 小松 久男(東京大学)
◆ 「ムスリム社会のダイナミズム」シンポジウム印象記宮治 一雄(恵泉女学園大学)
◆ The Dynamism of Muslim Societies - Towards New Horizons in Islamic Area StudiesJohn Edward Philips (Hirosaki University)
◆ Report on "The Dynamism of Muslim Societies: Toward New Horizons in Islamic Area Studies"Barbara Watson Andaya ( University of Hawa'i)
イスラーム地域研究の新地平-ムスリム社会の動態-
実行委員長 小松 久男(東京大学)
イスラーム地域研究プロジェクトは、10月5日から8日の4日間にわたり、木更津市のかずさアークで国際シンポジウム The Dynamism of Muslim Societies: Toward New Horizons in Islamic Area Studiesを開催した。 その目的は、平成9年に発足した文部省科学研究費(創成的基礎研究費)による「現代イスラーム世界の動態的研究」 (通称「イスラーム地域研究」)の最終年度にあたり、過去5年間の研究成果をとりまとめ、 これを内外に発表するとともに今後の研究課題を提示することにあった。会議は、二つの公開講演に続き、イスラームと世俗主義、ジェンダーと社会空間、 海港と商人・文化接触、民衆の中の神秘主義者と聖者、社会的抵抗と国民形成、イスラーム法廷文書の史的研究、 地理情報システムによるイスラーム地域研究など7つのテーマ別セッションと総括セッションからなり、 各セッションにおいて密度の高い報告と活発な討論が行われた。
会議は、9月11日の米国における同時多発テロとアフガニスタン情勢の激化という事態の中で開催され、 じっさい数名の招聘研究者は参加をとりやめざるをえなかった。さらに会期中の8日未明には米英軍によるアフガニスタン空爆も始まった。 しかし、最終的にはモロッコ、エジプト、トルコ、ウズベキスタン、タジキスタン、インド、カナダ、アメリカ合衆国、 イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ロシアの13カ国から25名の外国人報告者を迎え、国内参加者を合わせると、 公開講演会には約300名、並行して開かれた7つのセッションにも合計300名ほどの参加者を得ることができた。
総括セッションでは、参加者の積極的な参加を得て談論風発となり、学術行政のあり方から、 戦時におけるイスラーム地域研究者の道義に至るまで幅広い議論が交わされた。 一方、国内から若手の研究者や大学院生が多数参加したことは、海外の研究者からも高い評価をえた。
「イスラーム地域研究」プロジェクトは、21世紀の世界におけるイスラーム地域の重要性がますます強く認識される中で、 発足以来先端的な研究を展開し、いくつもの国際研究セミナーの開催や英語による研究成果の発表と公刊によって国際的にも高い評価を得てきたが、 それは今回の国際シンポジウムでも十分に確認されたと思う。 こうした意味で、本会議の学術的な意義はきわめて大きなものがあったといえるだろう。 各セッションで読まれた報告は、近い将来英文の論文集として公刊されることになっており、これもまた楽しみな成果である。
最後に、このシンポジウムを成功に導かれた報告者をはじめとするすべての参加者の方々、 シンポジウムの準備と運営にあたって的確かつ迅速に作業を進めてくださった事務スタッフの皆さん、 そして、開催にあたってご支援とご協力をいただいた文部科学省、国際交流基金、国立民族学博物館・地域研究企画交流センター、 日本貿易振興会・アジア経済研究所、東京大学文学部、山川出版社、千葉コンベンションビューローの関係者の皆様に心からの感謝を申し上げたい。
「ムスリム社会のダイナミズム」シンポジウム印象記
宮治 一雄(恵泉女学園大学)
10月5日から8日にかけて「かずさアーク」で開催されたシンポジウムに、 開会式と開会講演は、講義の関係で列席できなかったが、夜の懇親会から出席した。 房総半島の山中にある不便な場所であったが、懇親会には300人近くの出席者が集まり、たいへんな盛会であった。 中東学会の年次大会よりも規模が大きいのはもちろんだが、国外からの参加者も多く、 これだけ多人数の研究者を集めた集会を組織するノウハウが蓄積されたことに、率直なところなによりも感嘆せざるをえない。 これは、数次にわたる大型プロジェクトの運営を通じて蓄積されたものであり、 「イスラーム地域研究」プロジェクトの最終年を飾る行事にふさわしいものであった。第二日以降は、二つの会場に別れて二つのセッションが並行して行われたので、私が出席したセッションの様子を中心に感想を記しておこう。 なお、セッション名は英語プログラムから私自身が大意を訳したものであり、公式のものと異なるかもしれないので、お許しいただきたい。
土曜日午前の第一セッションは「現代ムスリム世界のイスラーム主義と世俗主義」と題して、飯塚正人さんの司会で六つの報告が行われ、 午後の第二セッションは、「今日のムスリム社会における公的私的空間―ジェンダーと新メディア」と題して 大塚和夫さんとアイケルマンさん(アメリカ)の司会で行われた。
日曜日は午前午後とも加藤博さんと酒井啓子さんが組織した第五セッションの「ムスリム社会における社会的異議申立と国家建設」に出席した。 プログラムでは午前の五報告と午後の六報告が予告されていたが、最後の二報告は割愛してしまった。 さらに月曜日のセッションはやはり講義の都合でまったく出席できず、残念であった。
個々の報告の内容に触れる余裕がないのは残念であるが、 プログラムを一覧しただけでも今回のシンポジウムの特色がかなり鮮明に浮かび上がってくるのではなかろうか。 簡単にいえば、セッションごとにきわめて魅力的な共通テーマが設けられていたことである。 とはいえ、個々の報告はかなりばらばらで相互の関連が乏しかった。 従って質疑応答も主として報告者とフロアの間で行われ、パネリスト相互が意見を交換して問題点を深めるには至らなかった。
とはいえ報告の一つ一つを取り上げてみると、現地調査や多年の文献渉猟の結果を生かしたものであって、 さまざまな分野にわたっているだけに正確な判断は難しいが、私の専門領域に近いものに関する限り質が高く満足できるものが多かった。 とくに若い研究者たちの英語発表の力が高まっていることには驚くほかはない。 このような機会を提供できたというのも「イスラーム地域研究」の成果といってよいのではなかろうか。
The Dynamism of Muslim Societies - Towards New Horizons in Islamic Area Studies
John Edward Philips (Hirosaki University)
The events of September 11 made the study of the Islamic world even more imperative for the rest of the world. The conference of October 5 through 8 made clear the importance of the contributions Japan is making to Islamic studies.While the specter of September 11 seemed to haunt the conference, and many conversations kept turning to those events, the conference dealt with a wide range of topics. Since there were two panels going on at any one time I can only give my impressions of panels I attended. Thus my impressions of the conference reflects my own interests as much as the content of the conference, but my own interests coincided closely with the content of the conference, or I wouldn't have gone in the first place.
The panel on "Islam and Secularism in the Contemporary Muslim World" included much information on the interaction between classical Islamic law and the modern world, and might almost have been entitled "Islam and Modernity." There was much that helped me see the contemporary controversy over Islamic law in Nigeria in a wider context. The most interesting discussion at this panel centered around the use of Islamic law in the legal system of independent India, like Nigeria a secular federation.
The panel on "Public and Private Spheres in Muslim Societies: Gender and the New Media" presented information from a wide range of locations, from Iranian workers in Japan to gender relations in Cairo to Islamist women in Turkey to women's networks on the World Wide Web. Here a paper on Islamist women in Turkey was criticized for focusing on the admittedly atypical Islamist minority in that country. This paper was however, able to bring out many of the contradictions involved in the adoption by modern, university educated women of clothing styles previously associated with the most traditional, impoverished and uneducated women in the society.
The panel on "Sufis and Saints among the People in Muslim Societies" was of special interest to me, since I wrote my dissertation on a society ruled by Sufi scholars. While the inevitable (and perhaps unanswerable) question of the definition of Sufism arose, the papers considered dealt with examples from early Islam, central Asia, Egypt, the Maghreb, and Albania. Methodology covered an equally wide range, and ranged from the analysis of written documents from Mamluk Egypt to fieldwork in the Egyptian desert. There was also much material about the highly variable relations between different Sufis and different states at different times.
On the final day the panel on historical research into Sharia courts was most interesting for me, again because of the combination of historical and contemporary relevance to northern Nigeria, where sharia courts have functioned for several centuries though their jurisdiction has changed throughout that time.
Given the importance of the Islamic World for Japan and elsewhere, and given the hunger of Japanese and other students for information about the Muslim world, it is important that research of the quality presented at this conference is encouraged to proceed at an increased pace, and that it be made available to a wider audience.
My only criticism of the conference would be the near absence of research on sub-saharan Africa. The only paper dealing with an arguably sub-saharan area was one on the Sudan. This absence is especially surprising given the relevance of much of the other research to issues of contemporary and historical significance in east and west Africa. Given the failure of Japanese Africanists to deal adequately with either Islam or history, there is no alternative but for Japanese historians of Islam to expand their vision, as well as to invite overseas scholars who have worked in the area. This is especially imperative in light of the recent attention being paid elsewhere, though not in Japan, to the long history of literacy and the many manuscripts which have been produced in Islamic Africa.
Report on "The Dynamism of Muslim Societies: Toward New Horizons in Islamic Area Studies"
Barbara Watson Andaya ( University of Hawa'i)
In October 2001 I was privileged to attend the international symposium, "The Dynamism of Muslim Societies," the culmination of five years of sustained academic endeavor by the Islamic Area Studies Project based in the University of Tokyo. At a time of intense international debate regarding interpretations of Islam's message and its significance for Muslim and non-Muslim societies alike, this meeting was particularly relevant. Spread across all disciplines, the expertise on Islamic societies was indeed impressive. The depth of Japanese scholarship was especially striking because it has developed independently of the imperial heritage that provided a basis for the growth of Middle Eastern studies in Europe.
While this intellectually stimulating meeting marked the conclusion of a important Islamic Area Studies project, it can also be seen as marking the potential for new initiatives, notably those which encourage scholars to think more comparatively. Though well entrenched in academia, I think we would all agree that the division of the non-European world into 'macrocultural zones' (Central Asia, the Middle East, South Asia, East Asia, Southeast Asia etc.) combined with country-based specialization has tended to discourage cross-cultural work. In the United States, for example, the Federal government, foundations and universities are all inclined to locate an individual research proposal within a specific "world region", and to submit it to the judgement of specialists in that particular area. In this context I should emphasize that the Ford Foundation recently initiated a project aimed at encouraging "cross-border" collaboration. Nonetheless, it has proved difficult to counter heavily entrenched attitudes and organizational policies which emphasize country specialization based on national boundaries and on "world-area" divisions that developed during and after World War II. While the size and diversity of the academic environment in the United States militates against changes in existing formulations, efforts to break down the barriers that create self-standing categories out of "nation" and "region" may enjoy greater success in a more closely knit environment. Indeed, my own panel, where Japanese scholars were brought in to discuss port cities like Marseilles and Nagasaki as counterpoints to identifiably Muslim centres, is a case in point. In regard to the study of Islamic societies I believe Japan has great potential for cross-cultural and inter-regional comparative work because (as this conference demonstrated) the academic network is already more integrated than in many other countries.
Let me mention an example of an area where such work might be particularly fruitful. One of the many interesting sessions in the October conference was entitled "Sufis and Saints among the People in Muslim Societies." Ranging from historical to contemporary topics, the contributions to these panels showed that research into Sufism has the capacity to provide a truly global framework for studying the localization of universal ideas. As a historian and a specialist on Southeast Asia, however, I would suggest that these and other panels would have been enriched by a broadening of the "Muslim societies" framework to give greater attention to communities in what we think of as "South", "East" and "Southeast" Asia - especially given the fact that Indonesia is the world's largest Muslim country. In the Sufi context it is relevant to note that historians have long been intrigued with the role of mystical ideas both in the initial appeal of Islam and in modern Indonesian society. Research is increasingly revealing the depth of Sufi connections with India and the Islamic heartlands in pre-modern times, and showing that the elite in what is now Indonesia, especially Java, were much more "Islamic" than previously thought.
A widening academic interaction may also yield fruitful results in regard to methodology. Historians of Islam in pre-nineteenth century Southeast Asia, for instance, often deplore the lack of material similar to the shari'a court records on which so much Middle Eastern scholarship is based. This lack certainly limits the studies that can be undertaken, yet the relative dearth of documentation has strengthened the interdisciplinary approach that lies at the core of Southeast Asian studies. To put it another way, historical explorations of Islamic societies in Southeast Asia are likely to draw not merely from conventional sources like royal chronicles and European trading records, but from alternative material such as literature and oral legends, and from research conducted by anthropologists, ethnolinguists, art historians and other colleagues. The methodologies employed to exploit the information that surfaces when a wide interdisciplinary net is cast could be both useful and interesting to colleagues working elsewhere in the Islamic world.
Japan is well placed to facilitate more extensive interaction between Southeast Asia and other parts of the Islamic world because of its long tradition of scholarship on Indonesian and Malaysia, and because personal co-operation between specialists of the Middle East and Southeast Asia is already a reality. More particularly, it seems certain that the collaborative approach advocated by Professor Sato in his written introduction to the conference abstracts will be critical if we are truly to develop a better understanding of the international Islamic world and its many local manifestations
韓国中東学会・第10回国際シンポジウムに参加して
長沢 栄治(東京大学東洋文化研究所)
筆者は、去る10月26~28日にソウルで開催された韓国中東学会(KAMES)の第10回国際シンポジウム「中東戦争と和平」 (The Middle East War and Peace)に代理出席することとなり、急遽参加した。 開会式では、日本中東学会の代表として挨拶の言葉を述べ、都合で欠席された立山良司会員のペーパーを代読して質疑に応答し、 同じく参加できなかった臼杵陽会員のコメンテーターの役割も代行した。 日本からはモジュタバ・サドリア会員とハサン・バクル東京外大AA研客員教授が参加し、報告を行なった。 国際シンポジウムのプログラムは、以下の五つのセッションから構成されていた。
- I 基調報告(キリスト教と平和、イスラームと平和)
- II「中東紛争:歴史的パースペクティブ」
- パネル1(イスラーム原理主義とテロリズムほか)
- パネル2(アズハル改革の研究ほか)
- III「中東和平とアジア的パーセプション」
- パネル1(ユダヤ国家論ほか)
- パネル2(世界経済秩序と中東の経済制裁ほか)
- IV「中東和平プロセス」
- V 総括討論
以上のプログラムの中で、筆者は並行セッションとなった第II・IIIセッションではいずれもパネル1に出席したが、参加したセッションの中でもっとも熱を帯びた議論となったのは、第IVセッションであった。同セッションには、パレスチナからPASSIA(Palestinian Academic Society for the Study of International Affairs)所長のDr. Mahdi Abdul-Hadi、イスラエルからベングリオン大学のDr. Arye Naor、そして韓国からDr. Choi Young Cheol (Konkuk Univ.)が報告者として参加したが、予定されたベツレヘム大学のDr. Adnan Musallamは「予期せぬ事情」により欠席した。
このように米軍によるアフガニスタン爆撃後の緊迫する情勢の中で、 東アジアの地で中東和平に関する真剣な討議が行なわれたことは特記すべきことである。 前日の夕刊では、いくつかの新聞がかなりの大きさの紙面を割いて、韓国中東学会の国際シンポジウムを取り上げていた。 学会開催の度にいつもこのような報道があるのか、と関係者に聞いたところ、今回は例外的なことで、 最近の情勢を反映したものですよ、という返事だった(とはいいながら、学会とのマスコミとの関係は日本とはずいぶん違うような印象を得た)。
ところで、第IVセッションの議論の内容は、必ずしもかみ合ったものにはならなかった。 報告原稿の内容から離れて和平プロセスの難局について熱弁をふるうDr. Abdul-Hadiに対して、 そんな論調では相手にならないといった様子でDr. Naor(ペレス元首相の新中東システム論のゴーストライターとして知られる)は イスラエル・アラブ双方の現実主義的な和平戦略の歴史を回顧した(Dr. Choi はエルサレム問題の歴史に関する手堅い報告をされた)。 その場の筆者の拙いコメントで述べたように、共通する歴史認識の形成という過去に架かる橋と、 未来に向けた現実的な和平戦略の橋の双方を架けようとする試み、それは同時になされねばならないが、それには激しく長い議論がまだまだ必要である。 この点で筆者のような門外漢の「代打」ではなく、日本の中東和平問題の「クリーンナップ打者」が参加していれば、議論の内容は変わったかもしれない。 しかし、それでも激しい議論の応酬の中でそれぞれ互いの論点を確認し、距離を取り合う「探りあい」はあったように思う。
セッションのタイトルにあるように、中東問題に関するアジア的なパーセプション、あるいはアジア的な見方や展望というのは、 如何にあるべきか、というのは難しい問題である。 しかし、日本的な見方、韓国的、中国的見方という個々のパースペクティブの違いを認識しながら、なおかつ東アジアからの見方、 あるいは問題への現実的な展望をまとめあげてゆくということは、長期的な課題となるのではないか、というようなことを素人ながら考えた (中国からは、社会科学院のDr. Qu Hongが参加し、中国のイスラーム研究について報告した)。
シンポジウムは、韓国の英和女子大学校神学部大学院の学長、Dr. Chun Jae Okによる「キリスト教と平和」の講話で始まった。 旧約聖書の『ミカ書』、新約聖書の『ルカによる福音書』を用いた女史のお話は、 韓国におけるキリスト教フェミニズムの動きにもふれた内容の深いものであった。 はじめて韓国を訪問した筆者は、ソウルの夜景のそこかしこに見える教会の十字架の赤いネオンに驚いた。 さて、日本と韓国は、1970年代以降、同じように中東への経済進出の機会を飛躍的に拡大したが(もちろんその進出形態に違いはあったが)、 イスラームに改宗した韓国人の数は、日本人に比べて圧倒的に多かった。 この差ひとつとっても韓国からの中東・イスラーム世界に対するアプローチや見方は、日本とは異なるものがあるのであろう。 シンポジウム冒頭の講話を聞いてそのような素朴な印象を得た。
最後に、筆者とは旧知の仲である韓国中東学会会長Dr. Yoo Kong-Joと、 学会事務局長でシンポジウムの運営に当たった友人のDr. Hah Byoung Jooをはじめ、 韓国中東学会の方々の温かいおもてなしに対し、心から感謝と敬意を表したい。
北米中東学会(第35回)参加記
三浦 徹(お茶の水女子大学)
2001年度の北米中東学会(MESA)は、11月17~20日にサンフランシスコで開催された。 筆者は、中東社会文化史協会(MESCHA)の主催する課題討議「中東社会史研究のゆくえ」のパネリストとして参加するため渡米した。 米国多発テロ事件とアフガニスタン侵攻の二つの影響で、すでに大会開始前から、 アラブやムスリムに対する国内外での過剰なセキュリティチェックなどに抗議して参加取消の動きがあったが、 例年になく発表やパネルの取り止めが多く、参加者は約1400名(例年1600-2000名)であった。 本学会会員では、桜井啓子、中西久枝、野元晋、元吉朗子の諸氏が研究発表を行なった。大会のプログラムは、初日の夕方にまず関係する研究団体(46団体)の会合が組まれ、2日~4日目は、朝8時から夕方6時まで、 二時間単位で計144のパネル(研究発表とワークショップ)が並んでいる。 ハイアット・ホテルを会場にして多くがここに宿泊しているせいか、朝8時の開始でも定刻に開始される。 2日目の夜は、先の諸団体が立食形式のパーティーを主催し、飲み歩きもできる。 3日目の夜は、学会全体としての行事として、会長の講演と学会賞の授与式、およびパーティーが行われる。 並行して、映画上映会とブックフェアが開催される。ブックフェアには76の出版団体がブースを設け、2-5割引で展示販売をしている。 洋書がウェッブサイトで直接注文ができるようになったとはいえ、新刊書が直接手にとって見られるのはありがたく、 研究発表よりもこちらの方が有益だという人もいる。
筆者は、初日に中世史協会に出席し、ここでは、I.M.ラピダス(カリフォルニア大学バークレー校名誉教授)が30年まえの処女作である 『中世後期のムスリム都市』をふりかえって短い講演を行った。 氏は89年の「イスラムの都市性」国際会議で来日し、『イスラム社会の歴史』(1988年)は、 ペーパーバックも出版され10刷を超えるベストセラーになっている。 講演では、いまからすれば書名自体に誤りがあり、ムスリム都市という集合・類型はありえない、 単純にエジプト・シリアの都市とするかイスラム社会とすべきであった、など反省と新知見を率直に述べた。
2~4日目は、つぎの10のパネルに出席した。
(1) オスマン帝国におけるギルド
(2) アイユーブ─マムルーク朝時代の法、国家、社会
(3) オスマン朝後期の家族史
(4) 中世イスラム研究に関する出版とインターネット
(5) アッバース朝の宮廷
(6) 中東社会史研究のゆくえ
(7) 政治と権力のジェンダー
(8) 19~20世紀のシリアにおける文化生産の変容力
(9) イスラム法における清浄さ
(10) オスマン帝国におけるスーフィー。
紙数の関係でパネルにおける個々の発表について論じるのでなく、全体の印象を書くことにしよう。 研究発表はどこでも15~20分で、質疑は概ね最後にまとめて行われる。 日本の学会発表では、レジュメを用意しないと不心得もの扱いされるが、 私の出席したMESAのパネルでは一人としてレジュメを配布したものはいなかった。 発表のペーパー自体は、事前に提出を求められ、大会期間中閲覧できるようになっているが(発表者が承諾すれば販売もされる)、 提出締切が約1月まえのため、要旨程度であったり、未提出であることも多い。 発表者は、若手の大学院生と有職者が半々程度で、前者の場合は、用意した原稿を超スピードで読む場合が多く、 自分の専門領域で固有名詞や専門用語が頭に入っていると理解できるが、分野が異なるとお手上げになる。 後者はベテランになるほど、メリハリが効いてくるが、準備不足で手書きのメモを片手に発表する人もいる。 A4判1枚の要旨でも配布してくれればずいぶんと理解がしやすいと思うのだが。 要旨を配布しないのは盗作されることを恐れるためだという説明を聞いたことがあるが、 「飛行機のなかで原稿を書いているから無理なんじゃない」と冗談めかした説明をするMESA関係者もいた。
発表内容は、はっきりいって玉石混淆である。 発表するためには、同年の2月中旬までに要旨を提出して、厳格な覆面審査によって採否が決定される (ちなみに今回の採用率は、正会員68%、学生会員73%、計542本)。 したがって、石ころはないはずだが、自分の研究資料がなにかもいわないで、先行研究の概説程度を延々と話し続ける者もいる。 逆に、日本で聞くことのできないテーマで大いに勉強になる発表も多々あった。 パネルには、研究団体などが事前に報告者を組織して行うものと、実行委員会側で個々の応募者をひとつのパネルにまとめる場合とがあり、 一般に前者の方が、焦点がはっきりして発表の粒もそろっていた(1,3,5,7,8,9)。 9は、イスラム法における清浄の規定・概念を、性行為、異教徒との接触などに即して古典法学のテキストを用いて議論したもので、 よくぞこのテーマで5人の報告者をそろえたと感心せざるをえなかった。 もっとも、法学研究者ばかりが集まったせいか、現実にはどのように適用されていたのかいっこうに議論されないのにはこれまた驚いた。
4は中世史協会の主催で、パネリストには、M・ドナー、R・バレット、S・ハンフリーズという大物がならんだ。 まずケンブリッジ大学出版局の編集者が、出版社側からいかに専門書出版では編集過程でコストがかかるのか(印刷製本費は15~25 %)、 しかも少部数(歴史では700部がせいぜい)のため高定価にならざるをえないと厳しい現実が指摘された。 研究者側は所属する大学の出版局にかかわっている経験から、書籍出版の経済的な苦しさを認めつつ、 電子出版にもデメリット(特殊文字や注の処理)があることが議論された。 パネリストに対して、若手の大学院生が、 Ph.D論文が出版できないと就職や教授資格に関わる、 死活問題であり、どうにかしてほしい、との声があがり、会場は俄然熱をおびた。 日本でも学術書の出版は引き受け手がないうえ、科学研究費の出版助成を得ても1万円を超える高定価になる。 英語出版であれば、より広い市場がありそうにみえるが、図書館での購入が中心になるので出版部数は限られ、事情は大差がないようだ。 筆者は、イスラーム地域研究叢書(英語版)では、中東諸国にも普及できるような定価にするため、 編者サイドで印刷用の版下を作成することによって編集コストの軽減を図る努力をしていることをコメントした。 高定価が研究条件の格差の拡大につながっていることが意識されていないのは、大学院生も含めて恵まれた研究条件にある米国ゆえのことなのだろうか。
3日目夜の会長の講演は、1年の任期をおえた会長の未来にむけた演説であり、毎年注目をあつめている。 今年は、日本にも数回来日して我々にも馴染みのあるR・ハンフリーズ氏(カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校)が、 「文化の記憶の破壊」と題する講演を行った。 氏は、ローマやモンゴルから、現代のボスニアやインドやバーミヤンの事件まで、人々に共有された記憶が破壊されていく歴史を採りあげながら、 この多難な世界を文化の記憶を大切にして生き延びていこうと結んだ。 アフガニスタン攻撃がつづくさなかにどのような演説になるか注目されたが、これを意識しつつもあえて直接言及しないことがかえって印象に残った。 私の出席したパネルでも、まるで外では何もなかったかと錯覚するほど、粛々と発表が行われ、 パレスティナのジェンダー問題をあつかったパネル(7)でも政治的発言は聞かれなかった。 もちろん、現代のイスラム運動を主題としたパネルではどうであったか、それはわからない。
本学会に直接関係する事柄としては、第一に、来年9月にドイツで開催される中東学会世界大会(WOCMES)の 主催団体であるドイツ中東学会(DAVO)のG・マイヤー会長から、 日本人の発表・参加が少ないので呼びかけてほしいとの要請があった (「中東学会世界大会参加のよびかけ」参照)。 こころよく引き受け、中国中東学会や韓国中東学会にも呼び掛けるように求めた。 第二は、2003年度のアンカレジ大会で、米国の司書団体の方から「東アジアにおける中東研究」のパネルを準備したという申し出があり、 アジア中東学会連合として協力できるように考えることを伝えた。
中東学会世界大会参加のよびかけ
2002年9月8~13日にマインツ(ドイツ)において、第1回中東学会世界大会(WOCMES)が開催される予定で、 現在100を超えるパネルが準備に入っています。 日本中東学会としては、すでに「スーフィー聖者と非スーフィー聖者」と題するパネル(組織者東長靖会員、京都大学)と 日本における中東研究の出版物を展示するブースを申し込み、受理されています。 このたび、同大会の主催団体であるドイツ中東学会(DAVO)会長から、日本人の発表参加者が上記パネルに限られており、 パネルでも個人の研究発表でも応募し、参加してほしい、との直々の要請がありました。 応募される方は、要旨を12月15日までに大会事務局に提出する必要があり、 応募要項はWOCMESのホームページ(http://www.wocmes.de)で入手できます(若干の遅延はあっても応募を歓迎するそうです)。 「世界大会」を名乗るのであれば、日本中東学会のみならず、韓国、中国の両学会からも参加ができるように連絡を密にしていく必要があります。
ニューズレター(メールニュース、ホームページ)への寄稿
本号にご寄稿いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。 事務局では、国内・国外の研究集会の案内や参加報告など、ニューズレターの原稿を募集しています。 ご寄稿くださる場合は、電子メールまたは郵送にて、学会事務局宛にお送りください。 電子ファイルを添付していただけると、編集が効率的にできます。 また、学会メールニュース、ホームページへのご寄稿がありましたら、同じく事務局宛にお送りください。
事務局より
- 8月に学会ホームページを開設し、あわせてメーリングリストによる電子メールのニュース配信を始めたところ、予想以上の反響がありました。 すでに<中東学会ニュース>は17通を配信し、学会ホームページもほぼ毎週更新し、アクセス数は2000件を超えています。 9月の「米国同時多発テロ事件」に際して、会員の投稿欄を設けるといった機敏な対応ができたのも、このおかげです。 来年度の年次大会での研究発表の募集もホームページや電子メールでの広報を併用したところ、例年よりも早い出足で総数も44件を数えました。 ホームページをみて、海外からの参加申し込みや入会希望もありました。
- インターネットをご利用されない方には、その利点を直接はご享受いただけないわけですが、 学会の運営や行事に関わる連絡は、郵送などの手段を併用して確実に行います。 またインターネットの利用は、学会の国際化および事務経費の節減といった点で学会全体に益するところがあることをご理解いただければ幸いです。
- 理事会では、AJAMESの機動性を高めるため、2分冊化(年2回発行)とこれに伴う装丁や編集体制の見直しの検討を始めています。 これをふくめ、未来のAJAMESについて、ご意見やご提案がありましたら、お近くの理事、編集委員、学会事務局にお寄せください。
日本中東学会事務局
〒112-8610 東京都文京区大塚2-1-1
お茶の水女子大学文教育学部
比較歴史学コース三浦研究室内
TEL & FAX :03-5978-5184
Eメール: james@cc.ocha.ac.jp
郵便振替口座:00140-0-161096
銀行口座:三井住友銀行渋谷支店
普通 No. 5346808