日本中東学会

中東研究レポート

中東研究レポート

『日本学術会議会員任命拒否問題フォーラム』開設の主旨について

日本中東学会会長 大稔哲也

去る10月2日に政府による日本学術会議新規会員の任命拒否が明るみに出て以来、日本中東学会理事会でもこの問題への対応に多大な労力を割いてきました。本学会単独で声明を発出したほか、地域研究学会連絡協議会や人文・社会系学協議会連絡会を通じても共同声明に参加しました。いずれも瞬時の対応を求められたため、理事会名や会長名による発出となっています。

その後、2か月以上が経過しても、依然として、なぜあの6名だけが任命拒否に遭ったのかは、一向に明らかにされておりません。また、過去の政府答弁や日本学術会議法との整合性についても、明確な説明は得られておりません。その間にも、問題の論点ずらしや誤情報の流布が横行しています。この問題は政治的な立場に関係なく、多様な価値観を認め、真理を探究して国際的研究を推進する本学会にとって、決して看過できないものです。

コロナ禍に苦しむ日本社会へ不要な分断を持ち込み、日本を代表する学術アカデミー活動の「顔」であり窓口である学術会議の活動を阻害している現状は、日本の国際的な学術活動にマイナスをもたらしており、日本の学術イメージを損なうことにもつながりましょう。

また、中東における学識者や学術活動の置かれた立場を良く知る我々は、この問題に対してより自覚的である必要がありましょう。ひとたび時の政権の恣意的な判断によって学術活動へ圧力がかかり始めると、その先に見えてくる世界がいかなるディストピアであるか、我々は中東の事例から身をもって体験しています。多様な意見に耳を傾ける度量を保持することは社会の生命線であり、最終的にはその社会の繁栄と安寧にもつながります。

学問やそれを支える多様な人々を大切にしない国は亡びます。逆に、現在中東と呼ばれる地域は、オリエント・エジプトはもとより、ギリシア・ローマ、インドなど、古代から綿々と連なる多様な文明を貪欲に吸収することによって、我々が今日恩恵に与るような科学技術・文明を発展させてきました。そして、閉じた体系を志向するようになった時には、すでに衰徴が生じていました。

本学会は日本学術会議の協力団体の一つとして、これまでも同会議をサポートしてきました。また、現在も、複数の本学会員が同会議の会員・連携会員を務めています。しかしながら、日本学術会議の活動内容に詳しくない本学会員も多いことでしょう。実際に、その活動内容が良くわからないという若手会員からの発言も仄聞しています。そこで、本学会員であり、これまで日本学術会議の会員として尽力して来られた方々にお願いして、学術会議の活動内容と、本学会の活動とのかかわりについて具体的に述べてもらい、より広く会員にこの問題の本質について理解を深めていただきたいと考え、本フォーラムを設けることに致しました。

こちらからの依頼に応えて、栗田禎子元会長、板垣雄三元会長、小松久男元理事が文章をお寄せ下さいましたので、ここに深く感謝の念を示しつつ掲示させていただきます。また、今後、さらに論者を増やすことも考えております。どうか、引き続き、ご理解とご協力を賜れれば幸いです。(2020年12月15日)


「学術会議「任命拒否」問題をめぐって」

栗田禎子 (千葉大学/中東研究・歴史学)

日本学術会議の新会員6名に対する任命を首相が拒否したことが判明(10月1日)してから1か月以上になる。発足まもない菅政権による学術会議への介入・圧力行使というこの事件は社会全体の注目を浴び、今や研究者だけでなく幅広い層の市民の関心の対象となって、関連報道も多いので、詳細について改めて触れる必要はないかもしれない。だが、明らかに今後の社会や学問のあり方全体に大きな影響を与えると思われるこの問題の解決(それにはかなりの時間と労力、決意が必要だろう)のためには、「何が問題なのか」を絶えず確認し直しておくことが重要だし、また「研究者であるわれわれは何をすればよいのか」、あるいは「中東研究(あるいは地域研究)の視点からはこの問題はどう見えるのか」といった問いを発し、批判の視座を鍛えていくことも必要だろう。――以下では今回の事件の性格やその影響・意味について、(たまたま現在「学術会議会員」であり、「中東研究者」でもある立場で)感じていることを簡単に述べたい。

1. 法の定めに反することが行なわれた――明白なルール違反

学術会議はわが国の科学者を内外に対して代表し、科学の発展を図り、行政や産業、社会に科学を反映浸透させるため、政府に対し勧告や提言を行なう権限を持つ組織である。首相の所轄であるが、「独立して」職務にあたることになっており(日本学術会議法第3条)、独立性を担保するため、会員はあくまで学術会議の「推薦に基づいて」首相が任命することになっている。(同7条3項)。今回の事態の最大の問題は、学術会議が推薦した会員のうち6名の任命を首相が拒否するという、この法の定めに明らかに反する行為が行われたことで、結果として学術会議法には会員は「210名」と明記されている(第7条1項)にもかかわらず、蓋を開けてみると204名しかいない、という事態が出現することになった。

これは誰が見てもおかしい、あってはならないことなので、10月1日の学術会議総会に参加した者は一様に愕然とし(会員名簿から6名が欠落していることは総会1日目の冒頭議題「会長互選」をめぐる議事の中で明らかになった)、続く総会2日目には菅首相に対し(1)任命拒否の「理由開示」と、(2)「任命拒否の撤回」を求める決議を全会一致で採択するに至った。学術会議はさまざまな立場・意見の人々から成っており、特段政府に対し批判的なわけではない(むしろ「ノンポリ」で学者肌な人も多い)のだが、今回は、法律が公然と無視されて公的な組織のあり方が歪められ、恣意的介入(首相による人事の「私物化」)が行われるという事態を前にして、「法治主義」の原則自体が脅かされている、という危機感が共有されたのである。

2.学術はなぜ「独立性」を保障されねばならないか?――「学問の自由」の社会的意味

上記のように日本学術会議法では学術会議が「独立して」職務にあたることが強調され、その「独立性」を担保するために会員選出のあり方が厳密に規定されているが、このように「独立性」が重視されるのは、それが科学者が(時の政権におもねることなく)あくまで客観的・学術的観点から社会のあり方について提言するという、学術会議の任務(=国民に対して負っている責任)を果たす上で不可欠だからである。これは戦前の日本社会において「学問の自由」が保障されず、学術研究が権力に従属していたことが、結果的に合理的・科学的な政策決定を妨げ、軍国主義や侵略戦争につながったことへの反省に基づく。日本学術会議はこのような反省の上に、科学を基礎とする「文化国家」の建設と「平和的復興」(学術会議法前文)をめざして1949年に設立された組織なのである。

これに関連して確認しておくべきなのは、「学問の自由」(日本国憲法23条)とは単に(「何を研究しても自由です」という)個人の学問研究の自由のみを指すのではなく、より社会的な広がりを持つ概念であるということ――社会全体において学術の政治権力からの独立性が制度的に保障され、「滝川事件」のような事態が繰り返されないようにすることをめざすものである、ということだろう。「滝川事件」(1933年.京大法学部の滝川教授に対する弾圧事件)は戦前の日本において(「学問の自由」を制度的に保障する仕組みと言える)「大学の自治」が無視され、科学者コニュニティーの自律性が蹂躙された例として知られるが、個々の大学や学者ではなく、日本の科学者を「内外に代表する」とされる学術会議全体が攻撃の標的とされた今回の事態は、ある意味では「滝川事件」や「天皇機関説」を上回る規模と意味合いを持つと言えるかもしれない。

3.国際社会にどういうメッセージを送ることになるのか?

今回の事態は、国際社会において日本が占める地位に与える影響という観点から見ても深刻だと考えられる。(今回の決定を下すにあたり菅政権がこうしたファクターを考慮に入れた形跡は残念ながら全くないのだが)、客観的に考えて、「日本ではアカデミーの人事に政府が恣意的に介入し、政府の政策に反対な学者は予め排除されているらしい」ということが国際的に知れわたれば、そのような国の「科学者」集団の信用は国際的に失墜する。今後日本が国際的な場で学術や科学の問題に関する提言・発信を行なおうとしても真面目には相手にされず、失笑されるだけ、という状況を招きかねないのである。

日本学術会議は国際交流にも取り組んでおり(学術会議法には「世界の学界と連携して」活動することが定められている)、その一環として、たとえば(私も参加していた)世界における「科学者の人権」状況を検討する分科会では、研究者の権利やacademic freedom が脅かされているさまざまな国の事例が紹介されたりしていた(中東・アフリカの例も多かった!)のだが、今回の展開を見ると、日本は逆に国際社会から心配してもらわねばならないような立場に転落したのではないか、と感じる。

任命拒否への批判が強まり始めた途端、にわかに問題を「学術会議のあり方」論にすり替える動きが生じ、「自民党内に学術会議のあり方を検討する作業部会が発足」し、「菅首相からも指示を受けた」、等のニュースが流れ始めたが、(与党とはいえ一政党であるはずの)自民党の動きがあたかも公的な政策であるかのように発表・宣伝され、「党」と「国家」がほとんど一体化しているかのような状況を見ていると、中東研究者としては思わず「これではサッダーム・フセイン下のバース党体制と同じではないか」(!)と言いたくなる。――総じて、今回の事態を通じて日本は国際社会におけるその地位を一段と低下させ(「ジェンダー平等」等の分野では既に十分に低いが…)、「ならず者国家」と目されるレベルにすべり落ちつつあるのではないか、と危惧せざるを得ない。

学術会議に対する菅政権の強権的・恫喝的態度は、国際的に見て常識を欠いている。

4.「リレー討論」の提案

最後になったが、学術会議第一部(人文社会科学系)に設けられた「地域研究委員会」は、地域研究の発展のためのさまざまな活動(提言の発表やシンポジウム開催、出版活動等)に取り組んできており、たとえばその中の「地域研究基盤強化分科会」は2020年9月に「不透明化する世界と地域研究の推進――ネットワーク化による体制の強化に向けて」と題する提言を発表している。さらに「地域研究学会連絡協議会(JCASA)」や「地域研究コンソーシアム(JCAS)」に参画するなど、学術会議は地域研究発展のための幅広い協働・交流の仕組みを構築する上でも大きな役割を果たしてきた。

また学術会議は「人文社会科学系協会男女共同参画連絡会(GEAHSS)」の立ち上げに中心的役割を果たすなど、学術の分野でのジェンダー平等の実現をめざす取り組みも行なっている。

学術会議にはこれまでに会員・連携会員として多くの中東研究者が参加し、地域研究、歴史学など、さまざまな分野で活動している(ちなみに栗田は「史学委員会」に所属)ので、今後「リレー討論」のような形で各人の体験が紹介されていくことを期待したい。それを通じて、学術会議が決して遠い存在ではなく、研究者であり市民でもある私たち自身にとって切実な問題に取り組んでいること、私たち自身がその活動を守り育てて行かねばならない存在であることが伝わるのではないか。――以上、舌足らずな内容に終わったが、この拙稿が次回以降登場する方々の「露払い」役となることを願っている。(2020年11月13日執筆)


「板垣雄三元会長へのインタビュー記事より」

日本学術会議が推薦した新会員候補のうち6人を菅義偉首相が除外したことに波紋が広がっている。「6人の問題では全くない」と強く懸念するのは、かつて日本学術会議の第1部(人文科学)部長を務め現行制度への改革にも関与した、諏訪市在住の板垣雄三・東大名誉教授(歴史学)だ。何が問題なのか、板垣名誉教授に聞いた。

・日本学術会議とは?

(板垣)「内外に日本の学術研究者全体を代表する組織(アカデミー)です。海外諸国のアカデミーとの交流協力や国内諸学会の連携協業の促進、新領域や研究者のあり方の調査など多面的な活動をしています。「政府の諮問機関」などと表現する報道もありましたが、違います。政府に報告・提言するためだけの諮問機関ではありません。」

・諮問機関とは違う、と。

(板垣)「例えば総合科学技術・イノベーション会議は政府の諮問・政策立案・総合調整機関です。学術会議は科学をもっと広くとらえていて、政策立案だけでなく広く社会に対しても発言し助言します。学術の社会に対する責任を重視しているのです。」

・日本学術会議は人文社会科学系の研究者も多い。

(板垣)「学術会議で大きな意味を持つのは人文社会科学の分野です。「知」の扇子を開くとして、あでやかな扇面が自然科学・技術だとすると、人文社会科学は扇のかなめです。人文社会科学と自然科学が共同することで科学が暴走することなく正しい方向に進むと考えられています。 」

・今回拒否されたのは人文社会科学系の人たちばかりだった。

(板垣)「そう。かなめの部分に位置する人たちです。特徴的ですね。」

・拒否問題をどう受け止めるか。

(板垣)「かつて自民党には学術会議廃止論を言う方はいましたが、会員の選任に手を突っ込む首相は皆無でした。政治が学術を支配しようとすれば学術は滅ぶ、というのが世界の常識ですから、表立ってそんなことをしたら世界中から軽蔑される。独裁者の国のアカデミーでも、別の口実でやってきたものです。」

・今回、菅首相は「法に基づいて適切に対応した」と言っている。

(板垣)「「日本はそういう国だったのか」と各国のアカデミーは驚いているでしょう。日本に真の学術はないということを首相自ら表明したような結果を産む。早急に是正する必要があります。どんな国でも「我が国の学術は独立している」と名誉にかけて言うのが普通です。内向きに平気でこういうことをやっていたら、日本の国家がどんどん落ち目になることを懸念します。」

・国際的にも注目をされる?

(板垣)「そうなります。米国ではいまプリンストン大やコロンビア大の研究者らが「民主主義を擁護するために科学者は立ち上がるべきだ」と声をあげ、有力学者たちが署名しています。日本学術会議の問題は強い関心で眺められているでしょう。」

・今後、懸念は大きいと。

(板垣)「「法に基づいて」と言ってしまうと、日本学術会議法に反し、営々と培われてきたその機能に背きます。学術会議が首相の下にある機関だと強調すれば、世界中がガリレオ・ガリレイいじめの法王や昔々の王立アカデミーを連想するでしょう。公人の公人たる政治の最高指導者に国を貶める過ちを冒させてはなりません。日本学術会議がここで毅然としないと、日本も日本の学術も名誉を失することになると思います。」

(『朝日デジタル記事』2020/10/06より転載。インタビューは2020/10/03に行われた。同誌掲載にあたって省略された部分も、ここでは板垣元会長ご自身によって復原されており、さらに全体の形式はこちらで整えました)。


「日本学術会議について」

小松久男(東京大学名誉教授)

先日、大稔会長から、今回の任命拒否問題に対する日本中東学会の対応の一環として、日本学術会議(以下、学術会議)の会員経験者に、学術会議の活動内容と日本中東学会との関係ならびに今回の問題点について説明をお願いしたい旨の依頼がありました。すでにフェイクも含めて多くのことが報道されていますが、ここではおもに学術会議はどんな活動をしているのか、私自身の経験に即してできるだけ具体的に記すことにしたいと思います。

私は民主党政権期の2011年10月から2017年9月まで会員を務めました。前半の3年間は、おもに地域研究委員会に属する地域研究基盤整備分科会で地域研究の振興・強化に関わる問題を調査・審議する活動にあたり、後半は第一部(人文社会系)の幹事に選ばれたため、分科会よりはむしろ学術会議の執行部にあたる幹事会のメンバーおよび広報委員長としての職務(広報はおもに月刊誌『学術の動向』の編集)を担当しました。

私自身、学術会議には長くなじみがなく、偉い先生方の集まりくらいの認識しかありませんでした。会員に選出されてはじめて、その活動の多様性と重要性、そして本務の合間に多数の会議と文書作成、諸々の職務をこなすという忙しさを実感した次第です。学術会議は、端的に言えば日本の科学者(研究者)コミュニティの代表機関であり、その中から自主的に選出された会員(210名)と連携会員(約2000名)によって構成され、学術に関わる重要な課題について審議し、その結果を発信することが主な任務となります。そこで、重要なのは、政府とは独立して活動することであり、この自立性こそが存立の前提だということです。ときに学術会議は政府の審議会と説明されることがあります。たしかに政府や省庁の諮問に応えることは任務の一つですが、学術会議の日々の活動は、ほとんど自主的な課題の設定と審議にあてられており、審議会という説明は当を得たものとはいえません。

一例を挙げれば、学術会議は文部科学省から大学教育の質保証についての審議依頼を受けて、2010年7月に「大学教育の分野別質保証の在り方について」という回答を発出しました。その後、学術会議はこの回答の大枠に沿って個々の分野別の参照基準を自主的に作成、公表してきました。すでに30以上の分野について公表されていますが、その中には地域研究も含まれています。この報告は、2014年9月に発出されました。

以下、活動の具体的な例をご紹介することにしましょう。

2017年2月、日本学術会議会長談話として「科学者の交流の自由と科学技術の発展について」が発表されました(本文は、http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-d9.pdf)。この談話は同年1月末、トランプ大統領が特定の 7 カ国から米国への入国を禁止した大統領令に対して国際科学会議(ICSU: The International Council for Science)が懸念を示したことを受けて、同会議の声明を支持するとともに、米国内で是正措置が取られることを求めたものです。声明は「次世代の科学者育成の観点からすれば、留学生を含む学生の自由な移動も保障されなければなりません」とも述べています。これは、日本学術会議が日頃から国際的な科学者組織と連携して行っている活動の一例です。

このころ、国内でも問題は山積していました。科学研究の健全性をいかに確保するか(研究不正の抑止のことです。関連して研究者に課される研修プログラムの内容は理工系に偏っているため、人文社会系に適したプログラムの試作も行いましたが、今はどうなっているでしょうか)、国際的な電子ジャーナルの高騰にいかに対処するか、福島の復興、原発や核燃料の処理はどうあるべきか、頻発する自然災害に対して諸学会はいかに対応すべきか(学術会議の主導によって多数の学会が協同する防災学術連携体が2016年に創設されています)、高校地理・歴史などの新科目はどうあるべきか、国連の「持続可能な開発のためのアジェンダ(SDGs)」に科学者はどのように貢献すべきか、など科学者コミュニティが取り組むべき課題はじつに多いのです。中でも記憶に残っているのは、軍事的安全保障研究と人文社会科学系学部・大学院の廃止をめぐる問題です。

第一の問題は、2015年に発足した防衛施設庁の「安全保障技術研究推進制度」の拡充を契機として提起され、安全保障と学術の関係を検討する委員会が、2016-17年に公開性を確保しつつ集中的な審議を行いました。これをふまえて学術会議は、軍事的安全保障研究に関する声明と報告を発出しました。この声明は、かつて学術会議が発した、軍事目的のための科学研究は行わないという声明を継承した上で、この制度の問題性を指摘し、「学術の健全な発展という見地から、むしろ必要なのは、科学者の研究の自主性・自律性、研究成果の公開制が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である」と述べています(詳しくは、http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/3bu/pdf/3bu-siryo2308-7.pdfを参照)。私は、この声明を幹事会で決定したときも、そして今もきわめて妥当なものだと考えていますが、最近の報道によれば、このような軍事目的のための科学研究に警鐘をならす学術会議の姿勢が、政府・自民党による学術会議への反発や批判の要因となっているようです。なお、安全保障と学術の関係については『学術の動向』(2017年5号)に特集を組みました。この雑誌は購読していただけるとありがたいのですが、バックナンバーはすべてJ-Stage上で公開されているので無料で閲覧することができます。

これに関連して思い出したことがあります。2015年のこと、私は広報委員長をしていたためサイエンスカフェの運営も担当していました。これは科学と社会とをつなぐために発案されたもので、そのときどきの社会的関心の高いテーマについては、科学者と市民・学生が飲み物をとりながら、リラックスした雰囲気の中で語りあうという企画です。2006年来のべ200回以上各地で開かれてきました。東京の場合は文部科学省との共催で省内のスペースで開催することが慣例となっていました。私が担当の時には中東学会会員の飯塚正人さんにイスラム国(IS)について話をしていただきました。このときには工学系の会員も聞きにきてくれました。

ところが、その後核燃料サイクルの問題を取り上げる企画を立てたところ、文科省から「政策的に当事者の立場にもあるため共催の立場をとることは難しい」として共催を断わられました。さらに、今後の共催にあたっては事前にテーマを知らせてほしいとの要望も出されました。これには正直違和感を覚えました。およそ科学の発展のためには多様な考え方が提示、議論され、すべてはそこから始まるはずです。テーマによって共催はしないというのは、いかがなものか、と。そもそもサイエンスカフェは、いま取り上げるにふさわしい科学上のテーマについて自由にさまざまな観点から語り合うことが本旨です。講師が特定の考え方を表明して、押しつける場所ではありません。文科省の担当者との協議では、異論も排除しない度量を示すことこそ国民の信頼や評価を得る道ではないか、と問いかけたこともあります。その後も安全保障と科学研究のテーマなどで共催拒否が起こり、最終的に文部科学省との共催は解消に至りました。今にして思うと、これは今回の事件の予兆であったかもしれません。さらに深刻な問題は、2016年夏数名の会員の定年にともなう補欠会員の選考に際して、任命権を主張する官邸と学術会議との間に齟齬が生じたことです。結果として翌年の会員選考(半数の改選)まで欠員が生じることになりました。有効な解決策を見いだすことができなかったのは、今でも残念に思っています。

第二の問題ついては、2015年7月に日本学術会議幹事会声明として、「これからの大学のあり方-特に教員養成・人文社会科学系のあり方-に関する議論に寄せて」を発出しました。これは同年6月に文部科学大臣が国立大学法人に出した通知、とりわけ「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18 歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」という文言に懸念を表明するものでした。この通知を受けて幹事会で審議した際、理系の会員からも「これは黙っているわけにはいかないだろう」という声が上がったことを覚えています。声明には「人文・社会科学のみをことさらに取り出して「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を求めることには大きな疑問がある」とあります(本文は、http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-kanji-1.pdf)。

学術会議は、この幹事会声明を出すとともに公開シンポジウムを開催しました。もとより、この問題をめぐって内外に大きな議論を呼んだことは、皆様もよくご存知のことと思います。問題は文科省が通知の文言の不正確さを認める形でおさまったかのように見えますが、人文社会系を取り巻く環境は厳しさを増しているというのが実感でした。そこで、人文社会系の会員によって構成される学術会議の第一部は、人文社会系の教育・研究の現状と課題をみずから検証する作業に着手することを決定しました。そのために新たな分科会が編成され、メンバーは討論を重ねるとともにさまざまなデータやエヴィデンスを集めました。私も地方国立大学の現状を調べるチームの一員として、愛媛、徳島、三重、静岡などの人文系学部を訪ねました。大学がそれぞれの地域において有する重要性をあらためて確認した次第です。ちなみに、学術会議はこうした調査を行うための予算を持っていないので、会員は自分で旅費を工面しなければなりません。巷間言われる「会員の既得権」とは、いったい何を意味するのでしょうか。学術会議の仕事とは本務の合間をぬって行うボランティア活動だと理解している会員は少なくないはずです。

いずれにせよ、第一部はこの審議の結果を提言にまとめ、2017年6月に「学術の総合的発展をめざして―人文・社会科学からの提言」として公表しました。その要旨の冒頭には、人文・社会科学には、時間と空間の視座を組み合わせ、多様なアプローチを駆使して諸価値を批判的に検証するという特質がある。学術の発展のためには、とりわけ中長期的な社会的要請に応えるためには、人文・社会科学のこの特質を活かすことが欠かせない。人文・社会科学と自然科学の双方が協働して学術の危機を克服し、人類が直面する諸問題の解決に当たらなければならない。と書かれています。本文は、http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-t242-2.pdfを参照ください。もとより、こうした検証作業は不断に続けていく必要がありますが、現在の第1部ははじめから6人もの会員を欠いており、総合的、俯瞰的な審議を行うにあたって大きな支障が生じています。今後も任命拒否が続くようであれば、学術会議はその自立性を失い、心ある科学者は会員に推薦されても辞退するような事態も起こりかねません。その結果がどうなるかは明白です。

この間の動きを見ていると、これまであたり前と思われていた研究や教育の基盤がくずれつつあるように思えてなりません。科学者コミュニティの声を集約する場としての学術会議の重要性は、これからむしろ重要性を増すことになるはずです。日本中東学会は、これまで地域研究連絡協議会のメンバーとして学術会議と関係を保ってきました。学術会議が単独で難局を乗り越えるには限界があります。今はさまざまな学会が、専門分野の別を超えて学術会議を支えるべきときではないでしょうか。今回のような事態を看過すれば、日本の学術はその自立性を失うことになりかねないと危惧しています。 (2020年11月22日)