第6回日本中東学会公開講演会「共存のイスラーム」レジュメ
2003.1.24 公開
◆ オスマン帝国と共存の構造(鈴木 董)
◆ イスラーム世界のマイノリティ(田村 愛理)
◆ ヨーロッパのイスラーム:対話のための課題(内藤 正典)
オスマン帝国と共存の構造
鈴木 董(東京大学東洋文化研究所教授)
I.中東・バルカンは紛争の大地か?
- 今日の中東・バルカン─絶え間ない宗教紛争・民族紛争の地のようにみえる
- その最大の例としてのパレスティナ紛争
- 厳しい一神教としてのイスラムとユダヤ教の宿命の対決観
- あるいはアラブとユダヤの2つの民族の宿命の対決論
- はたしてこのような見方は正しいか?また中東・バルカンの地域的特性として宗教紛争・民族紛争が生じるのか
- 中東・バルカンの大部分─近代以前、数世紀にわたりオスマン帝国が支配
- オスマン帝国時代─様々の民族・宗教に属する人々の間の関係はどうであったか
II.オスマン帝国という国家
- オスマン帝国─トルコ系ムスリムが中心となり13世紀末にアナトリア西北部に成立
- 15世紀にアナトリアとバルカンを支配する辺境の帝国となる
- 16世紀初頭、イスラム世界の当時の中心、エジプト、シリアとメッカ、メディナを支配下に
- イスラム世界におけるスンナ派のイスラム的世界帝国に
- トルコ系ムスリムが中心に形成─しかしトルコ民族国家というよりイスラム帝国
III.民族・言語・宗教の多様性
- オスマン帝国の版図一バルカン全域と、イラン、アフガニスタン、モロッコ、アラビア半島の一部を除く中東に加え、ハンガリー、南ウクライナ、クリミアまで含む
- きわめて多様な人種からなる
- 言語的にも、トルコ語、アラビア語、クルド語、ベルベル語、クリム・タタール語、ラズ語
- ギリシア語、アルメニア語、シリア語、ブルガリア語、セルボ・クロアティア語、アルバニア語、ハンガリー語、等々
- 民族的にも、トルコ人、アラブ人、クルド人、ベルベル人、ギリシア人、アルメニア人、セルビア人、クロアティア人、アルバニア人、等々
- 宗教上も、イスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒
- そしてキリスト教の様々の宗派一正教、アルメニア教会派、コプト教徒、ネストリウス派等々
IV.オスマン的統合と共存のシステム
- 民族も言語も宗教も異なる様々の人々一専ら宗教を基軸として統合
- このオスマン的統合のシステム一以前はオスマン帝国固有の制度である「ミレット制」として説明されてきた
- 「ミレット制」説一オスマン帝国の非ムスリムの臣民は、 「ギリシア正教」「アルメニア教会派」「ユダヤ教」の3つのミレット(宗教共同体)のいずれかに属し、 この3つのミレットは各々のミレット・バシュ(ミレットの長)の下に、貢納の義務を負う代わりに、 固有の宗教・法・慣習を保ち、自治生活していた
- しかし、実はオスマン帝国の統合システム一もう少し複雑
- そしてオスマン帝国固有の制度というより、イスラムの戒律(シャリーア)の中の制度に由来
V.イスラムの共存のシステムとしてのズィンミー制度
- オスマン帝国の統合と共存システムの源流 一イスラムの戒律(シャリーア)の中の「ズィンマ」「ズィンミー」制度にある
- シャリーアの中で一人間は、ムスリムと非ムスリム、人の住む世界も「イスラムの家」と「戦争の家」に分かたれる
- 非ムスリム一「啓典の民」(一神教徒)と偶像崇拝者
- 「偶像崇拝者」には「コーランか剣か」一「啓典の民」には「コーランか、貢納か、剣か」
- 「戦争の家」を「イスラムの家」へと組み込む営為 一「ジハード(聖戦)」一「イスラムの家」に組み込まれるとき、ムスリム一色とするのではない
- 「啓典の民」 一ムスリム共同体と契約一貢納と一定の行動制限を認めれば、特別の保護(ズィンマ)を与えられ、 ズィンミー(被保護民)となる
- ズィンミーは、固有の信仰と法と慣習を保ち、自治生活
- オスマン帝国の共存のシステム一ズィンミー制度に全面的に依る
- ムスリム優位下の不平等の下の共存一しかし、近代に至るまで比較的安定した共存を享受 「パクス・オトマニカ(オスマンの平和)」
VI.「西洋の衝撃」と「オスマンの平和」の崩壊
- 中東・バルカンが民族紛争のるつぼと化したのは、近代西欧の影響のもと
- 一方で「不平等」が問題化、他方で「民族主義としてのナショナリズム」が宗教に軸をおく共存と統合のシステムをほり崩す
イスラーム世界のマイノリティ
田村 愛理(東京国際大学商学部教授)
- 現代:三重の変革期
- イスラーム世界の特色:商業ネットワーク社会
- ズィンミー制度
- アルメニア人交易離散共同体
- ユダヤ人交易離散共同体
a) カイロのゲニザ文書から
b) ジェルバ島のユダヤ人共同体から - 国民国家とマイノリティ
- 開発経済政策とイスラーム復興運動
- バランサーとしての「イスラーム的」共存構造
参考文献
田村愛理『世界史の中のマイノリティ』山川出版、1997年
加藤 博『文明としてのイスラーム』東京大学出版会、1995年
鈴木 薫『イスラームの家からバベルの塔へ』リブロポート、1993年
家島彦一『イスラム世界の成立と国際商業』岩波書店、1993年
F. カーティン『異文化間交易の世界史』NTT出版、2002年
ヨーロッパのイスラーム:対話のための課題
内藤 正典(一橋大学大学院社会学研究科教授)
- 西ヨーロッパにおけるイスラーム社会の誕生
(1)1960年代に始まったイスラーム世界からの移民
(2)1970年代に始まった定住とイスラーム社会の形成
(3)共生と疎外の分岐点としての2000年代 - 彼らはなぜ、ヨーロッパでムスリムとして覚醒したのか
(1) 西欧社会の何から遠ざかろうとするのか
(2) 西欧社会の何を好意的に受け入れるのか - ヨーロッパ社会の対応
(1) 世俗主義と同化圧力の強いフランス
(2) 隔離と疎外のドイツ
(3) 多文化主義による共存とその限界を示したオランダ、イギリス
(4) ヨーロッパ域内のコンセンサスは可能か - 対話の条件とは何か
(1) 文化が衝突するのか?
(2) 対話を阻害する諸要因(啓蒙主義、個人主義、世俗主義)
(3) 文明の「力」を再考する必要性