文献短評

 
 
 
暮らしがわかるアジア読本―イラン』

上岡弘二編
河出書房新社、1999年

 私は、ちょっとした「イラン通」のつもりだったが、この本を読んで「こりゃ、だめだ」と思った。惚れこみ、飽き、いやけがさし、辟易し、ところがどっこいまた味がでてきて、というような、あたかも夫婦関係(?)のような深い関わりを経て、ようやく「イラン通」を(本当の「イラン通」のいないところで)名乗ってもよくなるのかな、とかなり戦線後退した。26 名にのぼる各種の「イラン通」著者がさまざまなテーマで寄稿しているこの本は、それくらいのインパクトを持っている。大変面白いし、ためになる本である。自分が知らないことがいっぱいあることを悲しくではなく、楽しく再確認させてくれる本である。読書案内や HP 案内もついていて読者をイランのさらなる深みにはめる算段もされている。もっとも秀逸なのは上岡弘二・吉枝聡子による「生きるために食べる」であろうか、私のように学生時代月曜に作ったカレーを日曜まで食べ続けて暮らしていた人間には、イランの外食文化もまあまあであったことを申し添えておきたいが。(森本一夫)

戻る

 
 
 
『岩波講座世界歴史 14―イスラーム・環インド洋世界 16-18世紀』

岩波書店、2000年
 岩波講座世界歴史刊行の有終の美を飾る(もっとも別巻は未刊)本書には、11 本の論攷がおさめられている。

 まず、「構造と展開」と題される総論部では、羽田正が「三つの『イスラーム国家』」、すなわちオスマン朝、サファヴィー朝、ムガル朝の比較を試みる。羽田は、単に三王朝を概説的に描写するのみならず、各個独自の関心と伝統によって研究されてきた三王朝をあえて共通の問題意識と枠組みで切ることによって、それぞれの王朝(とその治下の社会)を研究する人々に彼らの研究から抜け落ちている視点を提示しようと試みる。行論において羽田は、自分の問題発見の過程をも書き込んでおり、それは羽田が各所でその出現への期待を書き記しているところの意欲ある若い研究者にとって、「ものの考え方」を学ぶ上で有用であろう。羽田の三王朝に関する理解の当否についての見解、その提言への回答が当該の領域を研究する方々からこの文献短評欄へも寄せられれば幸いである。

 次に、「境域と局所」では、まず近藤信彰が「イラン、トゥラン、ヒンド」で、表記の 3 地域にまたがるペルシア語文化圏の諸相を描く。論文の各節は、君主間の書簡、勅令、詩人伝、地方史といった史料類型ごとに建てられている。それらの節が各史料類型の性格に忠実であるために論文全体としてのまとまりをつかみにくいところもあるが、16 〜 18 世紀のペルシア語文化圏における諸論点を様々な史料類型にひきつけて描いた構想は新しい。「境域と局所」第 2 ,弟 3 の論文は、福田安志「ペルシア湾と紅海の間」、長島弘「インド洋とインド商人」であり、前者はヤアーリバ、ブーサイード朝のオマーンとサウード朝を中心に、アラビア半島と一部東アフリカ海岸部での変動を主に政治的側面からわかりやすく概説するもの、後者は 16 ,17 世紀のインド系商人の活動を交易相手地域別に総合的に記述するものである。「限られた紙幅での総合化」は、私のような事情に疎い読者には大変有用であった。

 「論点と焦点」におさめられる諸論文の先頭をきるのは、林佳世子「イスラーム法の刷新」である。これはワクフ物件のイジャーレテイン契約という従来認められていなかった法行為が、一般に広がり法的にも受容されてゆく過程を検証したもので、イスラーム法の柔軟性を強調する近年の研究動向を手堅い事例研究を通じて一般の読者に伝えている。次の宮武志郎「ユダヤ教徒ネットワークとオスマン朝」は、スペイン出身のナスィ家がオスマン朝治下に落ち着くにいたるまでの経緯を、このような一般書の内容としては少々詳しすぎると思われるほどに追究したものである。ところで、文中での事実確定に際して、「〜にちがいない」といった推測が多く使われているのはいかがなものだろうか。黒木英充「前近代イスラーム帝国における圧政の実態と反抗の論理」は、「国民」、「民族」といった概念が浸透する前にオスマン朝の圧政が臣民にどのように観念されていたかを、アレッポでの総督追放劇に見いだそうとする。フランス風の言葉使い(会計簿= bilan か?)といい、随所にみられるくだけた語り口といい、著者は楽しみながら読者に語りかけるように書いている。

 以上の 3 論文がオスマン朝治下の社会を扱っているのに対し、続く 2 論文はムガル朝を検討の対象とする。まず佐藤正哲「ムガル朝の国家権力と土地制度」では、遊牧国家的脆弱性を内包していたムガール王朝権力がアクバルの諸改革によっていかに「インド・モンゴル王朝」に変身したかが上部の統治機構から土地制度にいたるまで手際よくまとめられる。その羽田的意義づけは「構造と展開」で示されているところである。つづいて小名康之「ムガル朝とヨーロッパ」では、ムガル朝宮廷とポルトガル人(およびイエズス会)、オランダ人、イギリス人らの関係が編年的に記述されている。私は自然と同時期の日本での出来事を想起しながら読みすすめた。つづいて、藤田みどり「日本人のアフリカ認識」は、戦国時代から帝国主義の時代にいたるまでの日本人の黒人認識をあとづけたものである。ヨーロッパ人の言説に日本人の黒人像が固定化されてゆくさまは、あらためて我々の他者認識の危うさを再確認させてくれる。語る声を持たせてもらえなかった人々も不幸であるが、無知ゆえの驕慢はもっと不幸である。気をつけねばなるまい(否!ここでイスラーム地域研究の必要性を訴えるべきであろう)。巻末を飾るのは深見奈緒子「建築から見たイスラーム・環インド洋世界」である。深見はここで西のオスマン朝建築と東のムガール・サファヴィー・中央アジア建築を二つの軸として対比しながらイスラーム・環インド洋世界の建築をその理想を体現する諸傑作と、より現実に適合した都市建築の両面から論じる。「環インド洋世界を一貫する建築様式を創出した事実は指摘できない」という一言は建築史の専門家の言葉として重要であろう。

 以上、各論文について批評をするにはスペースも足りなければ私の能力も及ばない。個別論文に対する短評を広くこうところである。ここでは、本全体の読後感を述べるのみとしたい。

 私は、本全体の構成に関し、どうしてもまとまりに欠けるという印象を押さえることができなかった。表題の広大な地域設定に応えようとする論文は羽田、近藤、長島、深見論文のみであり(もっとも「論点と焦点」という範疇の諸論文にそのような要求をするのは筋違いであろうが)、どうも表題としての地域設定だけあってあとはみんなそれぞれの研究史にのって書くべきことを書いたという感じである。これはまさに羽田が乗り越えようと試みている研究史・研究関心の乖離を反映したものであろう。できれば、「構造と展開」でのみならず、全巻を通じてたこつぼ横断の提言がなされればよかったと思うが、それはやはりないものねだりだろうか。この点、同シリーズの 10 巻『イスラーム世界の発展』などは、はなから「イスラーム史」という枠に安住できて幸せだったと思う。

 そもそも地域設定自体が無理だったのかもしれない。イスラーム・環インド洋世界全体をひとつとみる、より本格的な提言を岩波講座世界歴史シリーズとして行う特別な意図がなかったのならば(多分あったのだろうとは思うが)、とりあえずイスラーム世界と環インド洋世界とを分ける、あるいは陸の世界と海の世界とを分けるというような別の巻の建て方もあったのではないだろうか(そうすると巻数が増えてしまうが…)。羽田自身みとめるように、この巻が圧倒的に陸の歴史を扱っているのをみるにつけ、そのような思いを強くする(日本にも海の世界で一冊建ててそれが成立するくらいの研究の蓄積はあるのではないか?)。

 短評に書く気楽さでこれ以上いろいろ書きつらねていると筆がすべってしまいそうである。好きなことだけ言って、この辺で終わりにしたい。(森本一夫)

戻る

 
 
 
『大月氏―中央アジアに謎の民族を尋ねて』

小谷仲男
東方書店、1999年

 中国古代史に接したことのある人なら、その名を聞いたこともあるだろう。「大月氏」そのタイトルに誘われて本書を手にとり、開いてみると、文献資料からのアプローチ、考古学調査の紹介、著者の中央アジア旅行記と盛りだくさんの内容である。まず、文献資料から大月氏にせまっているが、特に史料も限られており、それほど新しいことは述べられていない。その特徴は従来の研究の整理であり、過去の研究者たちの推理の過程を詳しく述べたものとなっている。しかし、この後に続く考古学調査との関連からも、この作業は欠かせず、むしろ布石と考えてもよいだろう。加えて、漢文史料が書き下し文ではなく、日本語訳されて記載されているので、読みやすくなっている。

 さて、考古学調査についての紹介であるが、本書は評者がこれまで接した中で、図版や挿絵などが最も豊富な書物であった。考古学の紹介の際に大事なことは、文章もそうであるが、何よりも視覚に訴える図版を多用することであろう。それによってイメージが湧きやすく、読者を飽きさせないからである。これまで読んだ考古学調査による書物の多くは、図版が少なく、すぐに飽きていたので、その意味で本書は成功していると思う。

 そして、旅行記。研究調査を兼ねた著者の中央アジア旅行は、その立場もあって普通の観光客では行けないような場所に行き、できないような経験をしているため、旅行の仕方という意味では参考にはならないが、上記の文献資料と考古学調査の成果を踏まえた上で読むと、なんとなく、著者と共に中央アジアに赴き、自ら現地調査をしているような感覚に襲われるのである。

 ただし、気になる個所が一点、存在する。それは第一章の中ほどで、著者が「世界経済」という言葉を使用している点である。中国からローマに至るまでの間にぼんやりとした「世界経済システム」なるものが存在し、張騫の大月氏派遣と漢の西域経営はその「世界経済システム」への積極的参入であったとしているが、これはいささか不用意な発言ではあるまいか。というのも、漢王朝が遠く西方に国家が存在し、その地の商品が中国にはない珍奇なものであることを認識したとしても、だからと言って、ローマから中国に至る間の地域がそのシステムを意識して機能していたとは考えられないからである。そもそも中国にとって当時の世界とは、中国とその周辺地域であったはずであるし、それ以上遠方は、その存在を認識する以上のものではなかったと考えられる。

 それはともかく、全体的に読みやすく、興味が持続する構成になっているので、一読をお勧めする。なお、同じ東方書店より『匈奴』というタイトルの作品が刊行されていることを付け加えておく。(橋爪 烈)

戻る

 
 
 
『遊牧民から見た世界史―民族も国境も越えて』

杉山正明
日本経済新聞社、1998年

 この作品は良くも悪くも大作と評すべきか、はたまた、問題作と評すべきか、迷うところではある。著者杉山氏の言いたいことは、題名のとおりではなく、遊牧民の歴史を事例とした西欧中心主義的な歴史観に対する批判・非難である。彼はこれまで不当に扱われてきた遊牧民の歴史を再評価し、農耕民を中心とするこれまでの歴史解釈が陥っている間違いを、特に中国と関わった遊牧民の事例を中心に指摘している。その意図するところは、氏の言葉にもあるように、「定点をゼロに戻す」という言葉に代表されよう。すなわち、「農耕民」=「優秀」、「遊牧民」=「野蛮」という固定観念で凝り固まっていた従来の歴史学の方向性を(尤も今までその修正が行われてこなかったわけではないが)、優劣などという言葉で判断するのではなく、もっと公平な目で見ていこうと主張しているのである。その意味で氏の言葉は、本書の様々な場面で示唆に富んでいると言えよう。氏は先行研究が陥ってきた様々な問題点を鋭い観点から指摘し、毒舌を吐いている。ただし、本書を読むだけではその言の意味するところの多くを理解することは難しいと思われるので、少し古い中国史の概説書などを読んだ上で本書に臨まれることをお勧めする。何故なら、氏の専門分野はどちらかといえば中国史の範疇に入るので、本書に示された事例の多くが、従来中国史で扱われてきたものであるからである。

 しかしである。杉山氏の示す示唆に富んだ視点に対して、問題点も少なくない。まず、「毒舌」と評したが、どちらかといえば、小ばかにしたような物の言い方をしている。先行研究の問題点を指摘するのはともかく、「何故そのような問題に陥っているのか不思議で仕方がない」、といった感じで一言付け加えることが多いのであるが、読んでいて不愉快である。これも人それぞれの個性と、割り切ることも可能であるが、次に挙げる問題点に絡むので、あえて指摘した。次の問題点というのは、文章の至る所に、従来の視点を変えるということを意識しすぎているきらいが見受けられるということである。遊牧民に冠せられてきた「野蛮・非文明的・少数派」などといった評価に対して、そうではない、という杉山氏の考えが膨張し、その論はもはや歴史叙述ではなく、期待・希望を込めた陳述になっているということである。従来の歴史学者が陥ってきた農耕民中心史観が遊牧民を過度に軽蔑してきたように、遊牧民中心史観の杉山氏は農耕民や従来の歴史学者を過度に軽蔑しているのである。その態度が、先に挙げた物の言い方にも現れてきていると評者は考える。また、いささか不適切な人物・集団評価を行っている事も、見逃せない。例えば、自ら先行研究を批判する際のひとつのタームである「野蛮」という言葉を、遊牧民以外の集団や組織を評価する時には不用意に使用していることが挙げられる。

 以上のことから考えて、本書を通して学ぶことは次の二点であろう。一つは、物の見方である。従来の方法や方向性が必ずしも正しいものではなく、逆から見ると見えてくるものがあるということを本書は示している。その一方で、行き過ぎた主張・反論はそれ自体が問題点となって自らに跳ね返ってくることである。杉山氏は従来の研究を批判するあまり、従来の研究が陥ってきたものと同じ過ちを、知らず知らずのうちに犯してしまっているのである。評者も、本書の問題点についていささか行き過ぎた指摘をしているかもしれないが、杉山氏の行った遊牧民の逆差別化によって形成されるかも知れない遊牧民中心史観に対する警鐘として理解していただけると幸いである。(橋爪 烈)

戻る

 
 
 
『アジヤデ』

ピエール・ロティ著/工藤庸子訳
新書館、2000年

「黄昏のイスタンブルに燃えて」という帯のコピーが示すように、イギリスの海軍士官ロティと、彼が滞留先のサロニカで偶然見初めた富豪のハレムに生きる若い女性アジヤデとの恋物語である。恋愛と職務の狭間で悩むヨーロッパ人と彼の身勝手さに翻弄されるチェルケス出身の女奴隷という構図には、濃厚な「オリエンタリズム」の匂いが漂い、今日ではそれに苛立ちや嫌悪を感じる人もいるかもしれない。そんなことはとっくに分かっている。それにしても、満天の星の下、舫を解かれ静かな海面を漂うアジヤデの小舟の描写は美しい。正に「帝国主義が生んだ文学に潜む無意識の毒、その誘惑」である。

 物語そのものも面白いが、歴史研究者にとってそれ以上に興味深いのは、この作品のそこここに現れる 19 世紀後半のイスタンブルの町の描写である。翻訳とはとても信じられない自然な日本語で記された町の情景や人々の暮らしぶりは歴史史料として十分に利用できるのではないだろうか。エユップやウン・カパヌをはじめとするイスタンブル各地区の描写、古い木造家屋の構造、ハレムの風習、金角湾の渡しに用いられていたカユクとその制度、金持ちの家の夜会での慣習、月食の時に月に向かって銃を撃つ人々、バイラムのお祭りなどなど。社会史の情報があふれている。ミドハト憲法が発布された時の町の人々の否定的な反応も興味深い。どうでもよいことではあるが、憲法発布のその日が大雨だったことをトルコ近代史研究者はご存じでしたか。(羽田正)

戻る

 
 
 
『陶磁器、海を行く』

佐々木達夫
増進会出版社、1999年

「物」とりわけ中国陶磁に注目することからアジアの海の交流史の具体相を描こうとする意欲的かつ豊かな内容を持った書。序と結を別として、全体は 3 部構成となっている。第一章では海を通じたアジア各地の交流史概観、第二章では遺跡探しの著者の旅、第三章は発掘によって明らかとなった知見が平易に語られる。中国から南アジアや西アジアに運ばれた陶磁器の分布や量、質、種類などに着目することで、前近代アジアにおける文化や経済の交流のあり方を具体的に知ることが出来るのではないか、との見通しを持った著者は、発掘に適した港市遺跡を発見するため、モルジブやスリランカ、アラビア半島の各地を旅する。そして、アラビア半島のジュルファル遺跡とハレイラ遺跡に注目し、その発掘を 10 年にわたって続けてきた。本書では、著者の半生をかけたこの一連の研究活動の報告がなされ、同時に、今後の研究の方向もが記されている。とりわけ、本文のそこここに埋め込まれた文献史家へのメッセージは重要である。例えば、11 世紀から 14 世紀にかけてのエジプトでは中国陶磁器の模倣が盛んに行われるが、14 世紀になってエジプト陶器に独特のスタイルが生まれるようになると、中国陶磁器の模倣は次第にすたれ、16 世紀には完全にストップするという。このエジプト文化の「確立」は、文献史学からはどのように説明されるのだろうか。今後、考古学者と文献史学者の研究協力がなお一層必要となるだろうことを痛感させる書。(羽田正)

戻る

 
 
 
『インドの伝統技術と西欧文明』

A.J.カイサル著/多田博一、篠田隆、片岡弘次訳
平凡社、1997年

 本書は Ahsan Jan Qaisar,The Indian Response to European Technology and Culture,Oxford U.P.,1982 の全訳である。従来、中世インドと西欧の関係については「商業」や「行政・政治」が主たる研究対象であったが、本書は、西欧の影響を 16 世紀にもっとも受けたインドにおける西欧の「技術」「文化」の影響を、英語とペルシア語の史料を礎として丹念な研究にまとめたものである。

 結論からいえば、西欧の技術・文化に対するインドの反応は、利便性、物的・実用的考慮に応じて、採用するか否かが決められたということなのだが、評者が特に興味深く感じたことは、本書の中に随所に見られる西欧の事物に対する日本・中国・イスラムの反応の違いである。例えば、機械時計に関して、製造方法を解明し、国内でも製造するようになった中国やトルコ。特に関心を示さず、国内製造までには至らなかったペルシアやインド。時間の数え方を自国のものに適合させ、製造した日本――この日本の「採用」と「適合」の中に、「しばらくの間は伝統的慣習や観念を乱すことなく、外来技術を採用するヒントがある」と著者は言っているが、これは現代の国際社会にも言えることであろう。また、印刷技術が普及しなかった背景に関しても、インド(イスラム世界にも言えることかもしれないが)の場合、膨大な数の書家達の存在ゆえか、または社会構造(印刷技術の普及には、商人=企業家、学者、彫刻芸術家の三者共同の努力が必要)ゆえか、という考察も興味深い。

 西洋と東洋の物的・人的・政治的接触の多くなる当時代の研究において、観念と事物の伝播、移転、交換を特徴とする技術史は大きな役割を担う。今後、さらにオランダ語、ポルトガル語、フランス語などの史料を用いた研究が進めば、異なる文化の接触形態というものがより明らかになろう。(慶應修士 1 年 川端直子)

戻る

 
 
 
『中国が海を支配したとき』

ルイ―ズ・リヴァシーズ著/君野隆久訳
平凡社、1998年

 本書は鄭和とその 7 回にわたる南海遠征について書かれた Louise Levathes, When China ruled the seas: the Treasure fleet of the doragon throne 120 5-1433, New York, 1994 の訳である。著者のリヴァシーズはコロンビア大学でジャーナリズムを専攻したTVプロデューサーであり、いわゆる歴史研究者ではない。しかしながら、本書の引用は『明史』、『明実録』、『大明会典』、『明史記事本末』などはもとより、鄭和とともに南海遠征に参加した馬歓や費信といった人物による記録、さらには各地に点在する鄭和が立てた碑文やペルシャ語史料に及び、その内容は大変詳細かつ実証的であると思われる。周知のように鄭和の艦隊は、一部がメッカの外港であるジッダやマリンディやモガデシュなどの東アフリカ沿岸にも到達したといわれており、この南海遠征はイスラーム史研究者にとっても興味深いものがある。また、比較的史料が少ないポルトガル到来以前のインド洋世界の実態を知る上でも南海遠征の研究は重要である。

 ただし、本書には一部に飛躍した記述もみられるため、すべてを鵜呑みにすることはできない。しかしながら、数多くの漢籍や日本人の研究をも利用した本書は一見の価値があると思われる。評者には漢籍にかんする専門的知識が無いため、中国史研究者の方が本書を読まれ、漢籍史料の引用やその正確さなどの面からも短評を書かれることを希望する。(澤井一彰)

戻る

 
 
 
『ペルシア見聞記』

J・シャルダン著/岡田直次訳注
平凡社、1997年

 本書は 17 世紀にペルシアやインドを旅したシャルダンの旅行記のうち、第 2 部を構成する「ペルシア総観」の訳である。なお、第 1 部にあたる「パリからイスファハーンへの旅」は佐々木康之、澄子両氏による訳(シャルダン、佐々木康之、佐々木澄子訳『ペルシア紀行』岩波書店、1993 年)があり、また第 6 部の「ペルシアの都、イスファハーンの描写」については羽田正氏による訳(羽田正編著『シャルダン「イスファハーン誌」研究』東京大学出版会、1996 年)がある。さらに、シャルダン自身についても、羽田正氏によるすぐれた研究が出版された(羽田正『勲爵士シャルダンの生涯』中央公論新社)。これらの諸研究を合わせ読むことによって、当時のペルシアの状況がよりよく理解されよう。

 本書の記述はペルシアの気候と大気に始まり度量衡・貨幣に至るまで、実に詳細を極める。なかでも、商業や交易にかんする記述はシャルダンの商人としての能力が遺憾なく発揮されているように思われる。また年代記からはわかりにくい、当時のさまざまな物資や価格についての記述は、商業の実態をあきらかにする上で極めて貴重な史料である。さらに注目すべきは、シャルダンは後世のヨーロッパ人が抱きがちであった偏見から比較的自由であったことである。彼は、客観的にペルシアとペルシア人の豊かさや偉大さを述べるともに、ときとして現代のイラン人にもみられるような、その怠慢さも指摘している。

 シャルダンの旅行記は 9 部からなる膨大なものであり、ようやく 3 部が邦訳されたに過ぎない。しかし、すでに述べたように、その内容は 17 世紀のペルシアの状況やヨーロッパ世界と中東世界との商業の実態を知る上で大変重要なものである。今後、残る 6 部の訳注が待たれるところである。(慶應義塾大学大学院 澤井一彰)

戻る

 
 
 
『中世シチリア王国』

高山博
講談社現代新書、1999年

 本書は著者が長年にわたり研究対象としてきた中世シチリア王国についての概説書である。

 従来の研究においては、西欧世界における東方文化移入の地としてのシチリア、すなわちヨーロッパ史におけるシチリア王国の存在意義が強調されてきたのに対し、著者は、ラテン、ギリシャ、アラブの三つの政治文化圏の接点としてのシチリア王国の持つ歴史的意義に注目している。最新の研究動向が反映されいているのみならず、時間軸に沿って論が展開されるため初学者にとって良き入門書となる。

 あえて望むならば、著者が提唱する、「ノルマン・シチリア王国の歴史を扱うことで、ラテン・カトリック(西ヨーロッパ)世界、ギリシャ・東方正教(ビザンツ)世界、アラブ・イスラム世界を比較・相対化し、それぞれのイメージを再検討する」行為が、著者自身の手によってなされるところを見たかった気もするが、それはシチリア王国史としての本書の性格を逸脱するのでやむを得ないであろう。そしてそれは著者自身から我々に提示された今後の課題であるとも言える。(太田啓子)

戻る

 
 


E-mail: bunkentanpyo@hotmail.co.jp